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「山田フルート・ピッコロ工房」 のテレビ露出情報

北海道・白老町を訪れているフルート奏者の畠中秀幸さんは能楽師の津村禮次郎さんと共演した。23年のG7環境大臣会合では畠中さんは2023年の環境大臣会合の歓迎レセプションや、沖縄の戦争遺跡、築地本願寺など、全国各地で演奏してきた。右半身に麻痺があるために畠中さんは特製のフルートで左手で演奏している。右手は小指を使う以外フルートを支えるだけ。指揮者としても活動し、世代を超えた音楽活動にも力を入れ、相手が中学生でも真剣に対話する。小学5年でフルートを始めると様々なコンクールで優秀な成績を収めた中学・高校時代。進路は京都大学工学部に進学し建築家の道へ。卒業後は札幌の建築事務所に入り、建築家としても数々の賞を受賞。音楽家と2足のわらじを履いて畠中さんに突然の病が襲った。2011年に脳内出血で倒れた。右半身は諦めたほうがいいと告知されたという。しかし入院二日目には友人からあなたはラッキーだという言葉に奮い立ったという。
その後けんめいなリハビリで歩けるまでに回復。今も週に2回は病院に通っているという。2キロのおもりを10秒間持ち続けるリハビリを行う。麻痺は右手だけでなく、右の肺活量は病気になるまえの3分の2しかなう、唇の右側はほとんど感覚がないという。子供はおらず妻と二人暮らし。包丁を使う料理は妻が行う。
左手だけの演奏を可能にした人は山田和幸さん。木製のピッコロゆあフルートを作る日本でも数少ない職人。畠中さんのために左手で演奏できるフルートを制作した。この日新たな発見には右手が穴をふさいで音を出しにくくしていた。世界で一つだけの音色を手に入れた畠中さんは、障害のある自分とそうではない自分が対話し助け合うことの大切さを子どもたちに伝えている。また農業へと活動が広がっている。倉庫を改築し地元の野菜を販売。演奏会など芸術活動をする会場も作るという。暗く農機具が並んでいた倉庫はサビや土をいかしながら木の温かい香りが広がる空間に。壁は音が反響しやすい材料を施し音楽ホールへ。作曲したのは畠中さんとユニットを組む小川紗綾佳さん。
広島県大竹市にいた畠中さん。ここに畠中さんの実家があるという。祖父は原爆投下から数日後に爆心地に向かい、親戚を探しに被爆したという。畠中さんは父の願いでもある広島での慰霊演奏を行う。8月6日に原爆投下から80年黙祷が捧げられた。原爆ドームから300mの場所にある1本のシダレヤナギは、被爆樹木と呼ばれている。畠中さんが参加したのは毎年8月6日に被爆樹木の下で行われるアーティストらによる平和を祈る活動。
住所: 北海道夕張郡長沼町幌内

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