千葉県のポツンと一軒家を訪れ、主の雅弘さんに話を聞いた。雅弘さんは植木屋さんで、ここは仕事場で自宅は集落にある。娘が2人いる。ポツンと一軒家が建っているのは雅弘さんの父・萬作さんが約5000坪の人力で開墾した場所だった。萬作さんは4人兄弟の末っ子。次男は早世し、長男は戦争で亡くなった。母親1人で実家から離れるわけに行かず、戦後生活の糧を求めて山を開墾した。開墾当初は農業をしており、斜面で水もない場所だったため水稲はできず陸稲を作っていた。収量は水稲の半分ほどだという。山百合の栽培をして球根を海外に出荷していた。萬作さんが導入し一時は地域で葉タバコも栽培していた。雅弘さんは6人姉弟の長男で、物心ついたころから畑にいたと話した。車道が開通したのは65年前で、当初は現在より狭い道だった。