1986年夏、車体の設計作業が始まった。狙いは人馬一体の感覚。100万円台の価格にもこだわり、2万点の部品を見直した。楽しさと走り感の鍵を握ったのはサスペンション。平井敏彦は「創造的に破壊しろ」と言った。貴島孝雄は極限までシンプルなサスペンションを創り上げた。平井はアメリカで市場調査を実施。発売されたら買いたいとの声を集めると、上層部の態度は一変。量産化にゴーサインが出た。1989年に発売され、予想の10倍を超える注文が殺到。スポーツカーが民主化された瞬間だった。
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