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「広島電機大学」 のテレビ露出情報

広島原爆の10秒間を検証するため、私達は日本とアメリカの科学者の協力を得た。元原爆開発担当者のロバート・クスティー、マサチューセッツ工科大学のデット・ポストル。ペンシルバニア大学のセオドア・クラウトハマーは、爆発によって建物がどのように破壊されるのかを研究してきた。広島電機大学の葉佐井博巳は、広島に降り注いだ放射線を測定してきた。科学者たちはこれまでそれぞれの専門分野で核兵器の破壊力を研究してきた。しかし10秒という時間の中で整理したことはない。まず10秒間に起こる様々な現象を提示することから始めた。その結果、原爆がもたらす破壊の様相は刻々と変わっていくことがわかった。この議論を受けて10秒間を3つの段階に分けた。第1段階はまだ原爆は炸裂していない。第2段階は炸裂の瞬間。第3段階は3秒~10秒。この10秒の過程を明らかにする作業は、広島に集まった科学者の他に、5人の研究者の協力を得て進めた。
第1段階 0秒~100万分の1秒「放射線」。8月6日、午前8時15分に原子爆弾は投下された。原爆は投下から43秒後に爆発する設計だった。科学者たちは高度567mを原爆の炸裂点を定めた。上空で原爆が炸裂する前、すでに大量の放射線が地上に降り注いでいたと科学者は見ている。広島に投下された原子爆弾「リトルボーイ」は、重さ4トン、長さ3m。元原爆開発担当者のロバート・クリスティーは、ウラン235が取り付けられているが、量が少ないので単独では反応しないが、2つが合体したときに核分裂が起きると説明した。原爆が炸裂する100万分の1秒まで核分裂は猛烈なスピードで進む。100万分の1秒までに爆弾を突き抜けた放射線・中性子の新たな解明が今年始まった。広島市内の放射線影響研究所には、様々なサンプルが保管されている。
広島市役所の避雷針に使われていた銅線が研究のためアメリカに送られた。アメリカ・ユタ大学のトア・ストローメは銅に中性子が当たると、一部がニッケルに変化するという性質に注目した。カリフォルニア州のローレンス・リバモア研究所の装置は、自然界にある微量な放射線が当たって変化した物質を調べることが出来る。この装置を使って避雷針の銅線の分析が始まった。100万分の1秒までに発生した中性子は、爆弾を突き抜け地上に届いていた。
中性子は広島の町にどのように突き刺さったのか。爆心地は放射線が最も大量に降り注いだ。爆心地のすぐ横には猿楽町と呼ばれる街があった。被爆直前、猿楽町には1055人が暮らしていた。後に原爆ドームとなる広島県産業奨励館も猿楽町にあった。星正治は爆心地から130mのところにあった家・益本建具店に注目した。益本嘉六さんと弟の忠海さんに当時の家を図面に描いてもらった。益本さんの家は木造2階建てで当時の典型的な日本家屋だった。家には一週間前に親戚の一家が住んでいて5人が亡くなった。原爆が投下された翌日、忠海さんはまっさきに家に帰った。5人はちゃぶ台を囲むようにして亡くなっていた。益本さんが描いた図面と証言を元に家の模型を作った。中性子は、屋根や壁を通って27%が一階にまで到達。5人が浴びたのは人間が浴びればほぼ助からない量とされている8グレイ。広島大学の星正治は、日本の木造家屋の場合は、半分ぐらい通るので飛んできたら逃げる場所はないという。さらに中性子は様々な物質に反応して別な放射線・ガンマ線を発生させる。爆心地から800mで被爆した男性は、皮膚の斑点などを訴え、被爆から3週間後に死亡した。1キロ地点に降り注いだ放射線量と同じ4グレイをマウスの細胞に当ててその影響を見ると、アポトーシス(細胞自殺)が見られた。

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