- 出演者
- 池上彰 田中煕巳 コムアイ
オープニング映像。
1998年放送「NHKスペシャル 原爆投下 10秒の衝撃」を再放送。原爆爆発する瞬間から10秒の間に何が起きていたのかに迫るドキュメンタリー。スタジオゲストは日本被団協の田中煕巳さん、俳優でミュージシャンのコムアイさん。田中さんは長崎で被爆。ノーベル平和賞受賞の際、核廃絶を訴えるスピーチをした。コムアイは広島の被爆3世、様々な場で核廃絶を訴えている。
広島原爆の10秒間を検証するため、私達は日本とアメリカの科学者の協力を得た。元原爆開発担当者のロバート・クスティー、マサチューセッツ工科大学のデット・ポストル。ペンシルバニア大学のセオドア・クラウトハマーは、爆発によって建物がどのように破壊されるのかを研究してきた。広島電機大学の葉佐井博巳は、広島に降り注いだ放射線を測定してきた。科学者たちはこれまでそれぞれの専門分野で核兵器の破壊力を研究してきた。しかし10秒という時間の中で整理したことはない。まず10秒間に起こる様々な現象を提示することから始めた。その結果、原爆がもたらす破壊の様相は刻々と変わっていくことがわかった。この議論を受けて10秒間を3つの段階に分けた。第1段階はまだ原爆は炸裂していない。第2段階は炸裂の瞬間。第3段階は3秒~10秒。この10秒の過程を明らかにする作業は、広島に集まった科学者の他に、5人の研究者の協力を得て進めた。
第1段階 0秒~100万分の1秒「放射線」。8月6日、午前8時15分に原子爆弾は投下された。原爆は投下から43秒後に爆発する設計だった。科学者たちは高度567mを原爆の炸裂点を定めた。上空で原爆が炸裂する前、すでに大量の放射線が地上に降り注いでいたと科学者は見ている。広島に投下された原子爆弾「リトルボーイ」は、重さ4トン、長さ3m。元原爆開発担当者のロバート・クリスティーは、ウラン235が取り付けられているが、量が少ないので単独では反応しないが、2つが合体したときに核分裂が起きると説明した。原爆が炸裂する100万分の1秒まで核分裂は猛烈なスピードで進む。100万分の1秒までに爆弾を突き抜けた放射線・中性子の新たな解明が今年始まった。広島市内の放射線影響研究所には、様々なサンプルが保管されている。
広島市役所の避雷針に使われていた銅線が研究のためアメリカに送られた。アメリカ・ユタ大学のトア・ストローメは銅に中性子が当たると、一部がニッケルに変化するという性質に注目した。カリフォルニア州のローレンス・リバモア研究所の装置は、自然界にある微量な放射線が当たって変化した物質を調べることが出来る。この装置を使って避雷針の銅線の分析が始まった。100万分の1秒までに発生した中性子は、爆弾を突き抜け地上に届いていた。
中性子は広島の町にどのように突き刺さったのか。爆心地は放射線が最も大量に降り注いだ。爆心地のすぐ横には猿楽町と呼ばれる街があった。被爆直前、猿楽町には1055人が暮らしていた。後に原爆ドームとなる広島県産業奨励館も猿楽町にあった。星正治は爆心地から130mのところにあった家・益本建具店に注目した。益本嘉六さんと弟の忠海さんに当時の家を図面に描いてもらった。益本さんの家は木造2階建てで当時の典型的な日本家屋だった。家には一週間前に親戚の一家が住んでいて5人が亡くなった。原爆が投下された翌日、忠海さんはまっさきに家に帰った。5人はちゃぶ台を囲むようにして亡くなっていた。益本さんが描いた図面と証言を元に家の模型を作った。中性子は、屋根や壁を通って27%が一階にまで到達。5人が浴びたのは人間が浴びればほぼ助からない量とされている8グレイ。広島大学の星正治は、日本の木造家屋の場合は、半分ぐらい通るので飛んできたら逃げる場所はないという。さらに中性子は様々な物質に反応して別な放射線・ガンマ線を発生させる。爆心地から800mで被爆した男性は、皮膚の斑点などを訴え、被爆から3週間後に死亡した。1キロ地点に降り注いだ放射線量と同じ4グレイをマウスの細胞に当ててその影響を見ると、アポトーシス(細胞自殺)が見られた。
ハロルド・ブロード博士は原爆炸裂により出現する火球の破壊力を研究してきた。火球がどのように爆心地を襲ったのかを博士の協力を得て映像化した。アメリカで公開された大気圏内核実験のデータを大きな根拠とした。炸裂前の100万分の1秒までに原爆内部の温度は250万度に上昇している。100万分の1秒後、原爆が炸裂し火球が出現する。100万分の15秒後、温度は40万度、直径は20mになる。0.2秒後火球は直径310mに膨張する。核分裂で生じたガンマ線などが空気と反応し、火球の周りには紫の輪が生じる。爆心地から1キロ地点にいた男性は腹巻きをしていた部分を除いて大やけどを負った。またある女性は着物の絣の模様が肌に焼き付いた。核実験アニーの映像は住宅が熱線でくすぶったあと、衝撃波が襲う様子をとらえている。博士は火球が激しく膨張するため空気が外に広がるなどと説明した。東北大学で広島原爆の火球から発生した衝撃波の圧力を推計したときの映像を伝えた。原爆ドームは原爆の破壊力を物語っている。被爆前の原爆ドームは産業奨励館と呼ばれる街のシンボルだった。火球が発した熱線と衝撃波をペンシルバニア大学、東京工業大学の教授が中心となって調査した。住民たちの復原調査から建物の丸屋根は緑青をふいた銅板で覆われていたことがわかった。教授は銅は溶け出したと考えた。科学者たちは骨組みだけとなった丸屋根から熱線の影響を読み取った。瓦礫の中からは丸屋根以外の屋根を覆っていたスレートがいくつも見つかった。大阪大学教授は熱線を再現し、当時使われていたものと同じ天然のスレートへの影響を見た。影響は表面だけでスレートそのものは形を留めた。一方で銅板は一瞬にして溶けて穴が空いた。原爆ドームでは、丸屋根は溶けて骨組みだけが残り、スレート部分は熱には耐えたが衝撃波を受け崩れた。建物の大部分は爆発から1秒間で垂直に崩れた。
東北大学は広島原爆の衝撃波をシミュレーションした。核実験のデータも参考にし、スーパーコンピューターで計算を行った。衝撃波は爆発から3秒で1.5キロ、7.2秒で3キロ、10.1秒で4キロまで到達することがわかった。爆心地近くの広島貯金局にいた女性の手記を紹介。鉄筋コンクリート造りの広島貯金局の外観は無傷で残ったが、その中でも84人の死者が出た。女性は3階の事務室で仕事を始めようとしていたときに窓の外に光を感じた。3.4秒後衝撃波がガラスを破り室内を襲った。マサチューセッツ工科大学教授は頑丈な建物は外壁は残るが内部は酷いダメージを受けると説明した。ビルの中に入った衝撃波の動きに関する東北大学の実験では、窓の近くにできた2つの渦が部屋に広がっていた。中学2年生だった男性は当時爆心地から約2キロの比治山橋の東側にいた。防空壕の前の列の最後尾につこうとしたときに目の前が明るくなり全身にしびれがはしった。爆発の4.3秒後、最大圧力1平方メートルあたり2.1トンの衝撃波が襲った。男性は宙に巻き上げられ防空壕の奥まで吹き飛ばされた。衝撃波は爆心地から3.7キロの距離にある広島市南端の気象台にも達した。衝撃波は気象台の窓を破り壁一面にガラスが突き刺さった。火球は爆発から10秒後には光を失う。上昇気流が発生し巨大なきのこ雲が形作られた。20分後には放射性物質を含んだ黒い雨が降り始めた。その後も残留放射線が人々の体を蝕んだ。原爆ドームの破壊を検証した博士は芳名録に「過去に起こった事実は核兵器とはどんなものなのか私たちに教えてくれる」「広島の惨禍が将来の私たちを待ち受けている姿なのだろうか」と記した。
ここまで、1998年放送「NHKスペシャル 原爆投下 10秒の衝撃」を再放送。被爆3世のコムアイは「失われた人の人生に思いを馳せる体験ができた」と、被団協の田中は「見えない放射線で命を奪われた人たちがたくさんいることを証言してくれた」とコメント。98年にはインドとパキスタンが相次いで核保有。当時と今の世界の核保有数を比べてみると総数は大幅に減っているが保有国は増えている。核を持つことで相手の核使用を思いとどまらせる「核抑止」について、田中は「兵器で安全を保つという考え方はおかしい」「持っているなら使うことが前提」と指摘。被団協は国連本部など様々な場所で被爆写真の展示会を行っている。
アメリカで行われた「広島・長崎の原爆投下は正当化できるか?」との世論調査。2015年では「正当化できる」が56%だったが25年は35%。25年には15年ではなかった「わからない」の選択肢が追加されており、それは33%。被団協の田中は「私たちの努力が実ってきている」とコメント。海外との関わりが深いコムアイも、海外の人から「米国がよくなかった」という声をよく聞く。そのうえ「日米の話ではなく人類みんなの話」「ポジションにかかわらずみんなで話し合えると良い」とコメント。田中は「日本の若者にはその気持を世界中に広めてほしい」「これからの世の中を継いでいく人たちがそういう目に遭わないように自分の問題として考えてほしい」とコメント。
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