TVでた蔵トップ>> キーワード

「後藤・安田記念東京都市研究所」 のテレビ露出情報

1923年9月1日、関東大震災。マグニチュード7.9、死者・行方不明者10万人。近代日本史上最大の被害を出し、帝都は壊滅した。その翌日、大震災へ対応するため新しい内閣が発足した。山本首相に内務大臣を任された後藤は、「復旧にとどまらず、復興を企画すべし」と決意表明を残している。
東京千代田区にある市政会館、かつて東京市長も務めた後藤に関する資料を数多く保存している。2年前に発見された古い封筒には「後藤」の文字が記されていた。その中には、「地下鉄の設計図」が入っていた。当時東京は、人口増加に対応しきれず大混雑。東京の街を作り直す過程で通勤ラッシュを緩和しようと考えた。道路の建設や拡張、公園の整備など復興計画を打ち出していく。しかし後藤の大風呂敷は、厳しい批判にさらされる。震災で家や仕事を失った人たちを救うために、国家予算を使うべきだという声が上がった。
東京の大動脈の1つ「昭和通り」、後藤の復興計画の一環で作られた。後藤は車社会の到来を見越して、幅72メートルの道路を計画。しかし実際の幅は40メートルで、周囲から意見もあり規模を縮小したことが伺える。復興予算は13億円から5億円以下に縮小され、地下鉄の計画も消えてしまった。

© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.