島根県松江市の漁師の小笹さんは地元の小学校で講演を行っていた。日本海に面した御津漁港に午前4時、仕掛けた網を全員で引上げ魚を追い込む定置網漁を行う。漁の責任者、漁労長を務めるのが小笹さん。半分以上が10代から30代の若手漁師。全員小笹さんのスカウト。これまでの獲っておしまいの漁から船の上で仕分けをし、活け締めまで行う。臭みがなく鮮度が長持ちする魚にし、その価値をあげる。港に戻る頃にはめぼしい魚の活け締めはほぼ完了している。くまなく活け締めにした魚たちは市場へ。 漁師の金崎さんは牛すじを仲間に振る舞っていた。週末は朝市にも出店し、お客の反応をみるいい機会。
午前9時、定置網漁は解散になるが、ここからが新しい漁師像のもう一つの仕事。御津フィッシャーマンズファクトリーは小笹さんが若手の漁師を率いて2022年に立ち上げた。獲る漁師から獲って売る。つくる漁師へ。とれたての魚をスーパーに持ち込むと自分たちでパック。自分たちで営業して獲得した鮮魚コーナーで発売する。居酒屋との取引も開拓。またもう一つの仕事は作る。とった魚を自分たちで捌き加工品にする。主力商品はサバの塩辛。地元の主婦に協力してもらい、加工する御津伝統の製法。小笹さんは祖父も父も漁師だったという漁業が生活の一部だったという。しかし御津では漁師に高齢化や後継者不足の問題もあった。自分にもなにかできないかと2016年に漁師に転職。まだまだ改善点があったという伸びしろでもあったという。在庫管理から漁の進め方を先輩漁師に提案。収益をアップさせ周囲の信頼感を得てきた。
義兄はの中村さんは警備員から漁師に転職し、船長を務めている。塩辛づくりを担当し、ムードメーカーの尾島さんはシジミの研究員から漁師に。営業担当だという。介護業界から転職した藤原成樹さんは魚の捌きを担当している。しかし包丁をもったのは漁師になってから。小笹さんにお金を借りに行った時にスカウトされた。転職者揃いの漁師たちは二足のわらじで新しい漁師像へ試行錯誤の毎日。小笹さんは空き家をバーベキュー施設にしようと提案し、DIYをしていた。
10月、東京でサバの塩辛を使ったホットサンドなどをキッチンカーで販売し好評。さらに小学校で漁師たちが講演をする様子を紹介した。
午前9時、定置網漁は解散になるが、ここからが新しい漁師像のもう一つの仕事。御津フィッシャーマンズファクトリーは小笹さんが若手の漁師を率いて2022年に立ち上げた。獲る漁師から獲って売る。つくる漁師へ。とれたての魚をスーパーに持ち込むと自分たちでパック。自分たちで営業して獲得した鮮魚コーナーで発売する。居酒屋との取引も開拓。またもう一つの仕事は作る。とった魚を自分たちで捌き加工品にする。主力商品はサバの塩辛。地元の主婦に協力してもらい、加工する御津伝統の製法。小笹さんは祖父も父も漁師だったという漁業が生活の一部だったという。しかし御津では漁師に高齢化や後継者不足の問題もあった。自分にもなにかできないかと2016年に漁師に転職。まだまだ改善点があったという伸びしろでもあったという。在庫管理から漁の進め方を先輩漁師に提案。収益をアップさせ周囲の信頼感を得てきた。
義兄はの中村さんは警備員から漁師に転職し、船長を務めている。塩辛づくりを担当し、ムードメーカーの尾島さんはシジミの研究員から漁師に。営業担当だという。介護業界から転職した藤原成樹さんは魚の捌きを担当している。しかし包丁をもったのは漁師になってから。小笹さんにお金を借りに行った時にスカウトされた。転職者揃いの漁師たちは二足のわらじで新しい漁師像へ試行錯誤の毎日。小笹さんは空き家をバーベキュー施設にしようと提案し、DIYをしていた。
10月、東京でサバの塩辛を使ったホットサンドなどをキッチンカーで販売し好評。さらに小学校で漁師たちが講演をする様子を紹介した。