イギリスの作家・スティーブンソンは吉田松陰を「生きる力を与えてくれる日本の英雄」と称えているが、司馬遼太郎は「松蔭という名が、毛虫のようなイメージできらいだった」と語っている。幕末の長州について研究している萩博物館・特別学芸員の一坂さんが見せてくれたのは明治から昭和までの松蔭に関する資料。明治初期は江戸幕府に立ち向かう革命家として描かれ、松下村塾に関する記載は無かった。徳富蘇峰はイタリアの革命家・マッツィーニと比較して論じた。昭和(戦前)になると愛国者として描かれるようになり、戦後は教育者として評価された。大田区立山王草堂記念館には徳富蘇峰が吉田松陰を描いた初版本が保管されている。革命家と記した箇所には朱色の訂正がびっしり。松蔭の弟子だった野村靖が革命家にあらずと加筆訂正して蘇峰に返した。明治政府は松蔭のような革命家の出現を恐れ、明治41年の改訂版では革命家に関する章が削除された。松蔭のイメージの変化には国の思惑があり、戦前は愛国者として描かれることになった。司馬遼太郎は少年時代に受けた愛国教育に登場した吉田松陰に嫌悪感があったと思われる。