2025年4月2日放送 22:00 - 22:45 NHK総合

歴史探偵
吉田松陰の教育力

出演者
佐藤二朗 片山千恵子 
(オープニング)
今回は...

今回は明治維新のリーダーを数多く育てた幕末の指導者・吉田松陰の教育力を山口・萩で徹底調査。最新データサイエンスで教育の極意を解き明かす。

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吉田松陰萩(山口)
オープニング

オープニング映像。

(吉田松陰の教育力)
スタジオトーク

伊藤博文ら吉田松陰の教え子たちを紹介。自己啓発やリーダーシップ論など松陰に関する出版物が増えているという。調査した秋鹿アナウンサーが松蔭の年表を説明。1830年に長州藩下級武士の家に生まれ、1856年に27歳で松下村塾で教え始め「尊王攘夷」を説く。1859年に安政の大獄で処刑され、30歳で亡くなった。もう1人の探偵・多摩大学客員教授の河合敦さんが登場。高校の教員をしていた若い頃に松蔭に感銘を受けたと語った。

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松陰神社

河合敦さん&秋鹿アナが山口県萩市で吉田松陰を調査。やって来たのは「松陰神社」。境内には「松下村塾」が当時のまま残されている。特別に中に入れてもらった。柱には松蔭の言葉が刻まれている。ここで学んだ約90人の塾生はほとんどが近所に住む青年だった。伊藤博文の家は徒歩5分。講義室の奥にある屋根裏部屋が松蔭の休憩スペースだった。宝物館には保管されている松蔭自らが書いた書物を見せてもらった。自由な雰囲気で心を通わせて学ぶ重要性が説いてあった。松蔭が目指したのは個性を尊重した教育だった。

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データサイエンス解析

吉田松陰が塾生に言葉を伝えた手紙など175通をデータサイエンスで解析。文面をAIに読み込ませ、多く使われている単語を抽出。河合敦さんは「同志」「諸友」に注目。松蔭は生徒と先生という上下関係ではなく、対等な仲間として語りかけていたと分析した。友として対等に接し、その人らしい考えを育て、個性を伸ばすのが松蔭の教育だった。続いて注目した言葉は「愛」。伊藤博文の長所を見極めて褒めた言葉を紹介。

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野山獄

嘉永6(1853)年にペリー率いる黒船が来航。その軍事力を目の当たりにした吉田松陰は翌年に再び来航した黒船に乗り込み「アメリカに渡って勉強したい」と訴えたが拒否された。重罪だった国外密航を試みた松蔭は野山獄に収容された。吉田松陰歴史館には野山獄を再現した展示がある。松蔭は囚人を相手に教え始め、この場所は松下村塾の原点になった。松蔭は教えるだけでなく、囚人たちから字や俳句を学び、お互いに得意なものを教え合う関係になったという。

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世界一の名将

2023年のWBCで日本代表を世界一に導いた栗山英樹さんも吉田松陰に影響を受けた一人。松蔭の座右の銘「至誠にして動かざるものは未だ之れあらざるなり」を指導の指針にしていた。誠を尽くして接すれば心を動かされない人はいないの意味。日本ハムの監督時代に大谷翔平選手の二刀流をサポートした栗山は、絶対にできると信じて精一杯できることをやったと語った。

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吉田松陰 もうひとつの姿

秋鹿アナが東京・世田谷区にもある「松陰神社」を訪れた。教育者・松蔭の別の顔を見ることができるという。保管されていたのは明治23年ごろに製作された松蔭像。肖像画とはまるで別人の猛々しい雰囲気だった。作者は弟子から話を聞いたり、松蔭が残した文章から性格を読み解いたという。先ほどのデータ解析では「狂」の漢字も多く抽出された。「狂」は陽明学の概念で理想を追及する肯定的な意味がある。松蔭にとっては「理想主義」と訳すのが最も近いという。海外からの脅威が迫る中、脱藩し、密航を企てるなど、即行動する理想主義者だった。

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老中暗殺計画

安政5(1858)年に江戸幕府はアメリカと日米修好通商条約を結んだ。日本に関税自主権がないなど、不平等条約だった。幕府が天皇の許可を得ず条約締結を強行したことに吉田松陰は激怒。老中暗殺を計画し、長州藩に意見書を出して武器提供まで要請した。松蔭には自分が先頭に立って切り開く気持ちがあったという。安政6(1859)年10月27日、老中暗殺を企てた罪で松蔭は斬首された。山口・萩市の松陰神社には松蔭が処刑前日に書いた遺書「留魂録」が保管されている。萩市には松蔭の死後100日目に建てられた墓があり、久坂玄瑞や高杉晋作など塾生たちの名が刻まれている。尊王攘夷のためには不可能でも挑まなければならないとの思いを受け止めた塾生たちは次々と行動を起こした。久坂玄瑞は禁門の変で会津藩や薩摩藩を相手に奮闘。高杉晋作は全く新しい軍隊・奇兵隊を組織した。松蔭の死から9年後に江戸幕府が倒れて新時代を迎えることになった。

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芸能界の歴女

山崎怜奈さんは吉田松陰の生き様に魅力を感じ、「心はもと活きたり、活きたるものには必ず機あり」との言葉に影響を受けた。心はもともと生き生きしたもので必ず動き出すきっかけがあるとの意味。小学生の時に学校があまり好きでなかったが、この言葉のおかげでワクワクするものが絶対に見つかると感化されたという。

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吉田松陰
吉田松陰 イメージの謎

イギリスの作家・スティーブンソンは吉田松陰を「生きる力を与えてくれる日本の英雄」と称えているが、司馬遼太郎は「松蔭という名が、毛虫のようなイメージできらいだった」と語っている。幕末の長州について研究している萩博物館・特別学芸員の一坂さんが見せてくれたのは明治から昭和までの松蔭に関する資料。明治初期は江戸幕府に立ち向かう革命家として描かれ、松下村塾に関する記載は無かった。徳富蘇峰はイタリアの革命家・マッツィーニと比較して論じた。昭和(戦前)になると愛国者として描かれるようになり、戦後は教育者として評価された。大田区立山王草堂記念館には徳富蘇峰が吉田松陰を描いた初版本が保管されている。革命家と記した箇所には朱色の訂正がびっしり。松蔭の弟子だった野村靖が革命家にあらずと加筆訂正して蘇峰に返した。明治政府は松蔭のような革命家の出現を恐れ、明治41年の改訂版では革命家に関する章が削除された。松蔭のイメージの変化には国の思惑があり、戦前は愛国者として描かれることになった。司馬遼太郎は少年時代に受けた愛国教育に登場した吉田松陰に嫌悪感があったと思われる。

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スタジオトーク

佐藤二朗は「歴史上の人物から学ぶのは大切なことなんだけれども、生きている側の都合のためにその姿がねじ曲げられてしまう危険がある」などと語った。VTR出演した栗山英樹&山崎怜奈は番組の大ファン。山崎が探偵もやってみたいと語っていたと紹介されると、佐藤は採用ですと語ったが、河合敦が今度は山崎さんと探偵をやりたいと語ると、却下ですと応じた。

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(エンディング)
次回予告

「歴史探偵」の次回予告。

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