- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 河合敦
今回、室町時代に京都御所近くに立っていた巨塔を調査する。
オープニング映像。
室町時代に立っていた巨塔”室町タワー”に関する石碑が残されていて、相国寺七重塔と記されていた。文献によると、高さ109m。現存する木造の塔で日本一を誇るのは東寺の五重塔で、56mしかない。
京都市動物園にある石碑には九重塔に関する記述がある。平安時代に実在し、高さ81mを誇った。2010年、園内で発掘調査が行われたところ、塔を支える土台が見つかっていて、大きさは約30m。そこから、京都大学の冨島義幸氏は相国寺七重塔の土台は36mと算出し、同時期につくられた興福寺 五重塔の構造をモデルに復元図を描いた。塔が大きくなるにつれ、優美な印象を醸す軒の出も大きくなる上、瓦自体も重い。それらを木造パーツで支えることは可能なのか首をかしげたという。だが、奈良にある室生寺のお堂では小瓦葺きの技法が取り入れられていて、平泉の中尊寺金色堂も同様。冨島氏は復元図を完成させ、「実在していてもおかしくない」と話す。
番組では復元図をもとに、相国寺七重塔を3DCGで再現した。学生時代に古建築を研究していた河合敦氏は感嘆したという。なお、七重塔の建築を命じたのは室町幕府の3代将軍、足利義満とされる。10歳で父が病死し、義満は11歳で将軍の座についた。北朝の上皇が拉致され、南朝の拠点へ連行されたり、幕府に無理難題を突きつける寺社勢力といった争乱の時代に、小学校4、5年生が総理大臣になったようなものだという。
- キーワード
- 足利義満
相国寺七重塔が完成した日、式典が行われたなか、朝廷のトップが集結し、有力寺院から多くの僧が招かれた。11歳で将軍の座についた足利義満は貴族文化を学び、行事にも積極的に参加していた。音楽の素養を身に着け、笙を天皇の前で披露することもあったという。また、宮中行事の責任者を何度も務めるなか、寺社勢力との関係改善にも努めた。戦乱で荒廃した寺社の再建費用も負担していた。戦では南朝を支持する有力大名に勝利をおさめ、義満は南北朝統一を成し遂げた。その後、七重塔の建築に着手している。
相国寺七重塔の完成後、式典が行われた。史料を紐解くと、どのような人々が列席していたか、席次なども分かるという。足利義満は最高責任者として式典を取り仕切っていた。
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- 足利義満
東京タワーが戦争からの復興のシンボルとなったように、足利義満が建てた七重塔は人々に戦乱の世の終わり、新たな未来の到来を告げたのかもしれない。実際、京都では商工業が栄え、祇園祭の担い手も任されていた。なお、七重塔は2度、落雷によって焼失している。
応仁の乱に関する軍記物には相国寺七重塔の焼失に関する記述があり、放火犯は猿だと民草は噂していたという。滋賀にある日吉大社の神の使い手が猿で、塔には神罰が下ったと思われていた。足利義満によって平和の象徴として建てられた塔だが、すでに朝廷の権威は失墜し、大乱に巻き込まれた民衆の反応も冷ややかだったという。
「洛中洛外図屏風」には人々の生活も細かく描かれ、山鉾巡行も見て取れる。河合敦氏によると、足利義満は祇園祭を愛し、世阿弥を連れて見物していたという。佐藤二朗は「室町時代は豊かな文化が育まれた時代でもあったんだな」と語った。
「歴史探偵」の次回予告。