安政5(1858)年に江戸幕府はアメリカと日米修好通商条約を結んだ。日本に関税自主権がないなど、不平等条約だった。幕府が天皇の許可を得ず条約締結を強行したことに吉田松陰は激怒。老中暗殺を計画し、長州藩に意見書を出して武器提供まで要請した。松蔭には自分が先頭に立って切り開く気持ちがあったという。安政6(1859)年10月27日、老中暗殺を企てた罪で松蔭は斬首された。山口・萩市の松陰神社には松蔭が処刑前日に書いた遺書「留魂録」が保管されている。萩市には松蔭の死後100日目に建てられた墓があり、久坂玄瑞や高杉晋作など塾生たちの名が刻まれている。尊王攘夷のためには不可能でも挑まなければならないとの思いを受け止めた塾生たちは次々と行動を起こした。久坂玄瑞は禁門の変で会津藩や薩摩藩を相手に奮闘。高杉晋作は全く新しい軍隊・奇兵隊を組織した。松蔭の死から9年後に江戸幕府が倒れて新時代を迎えることになった。