- 出演者
- 福澤朗 今田耕司 菅井友香
オープニング映像。
4月1日放送分を再編集して放送。今回は3時間半スペシャル。番組は32年目に突入。1年間やってきた菅井友香は毎回収録が刺激的で楽しいなどと話した。
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- 横山大観
大阪府堺市の中心部にあるレトロなビルを訪問。依頼人のダイトクビル オーナー大澤さん。個人で能楽堂を所有。舞台は総檜で檜皮葺きの屋根、橋掛かりまで本格的なもの。大澤さんの先祖は江戸時代酒造業で財を成し、55年前、能のファンだった母が代々受け継いだ土地に日本住宅公団と共同で貸店舗と住宅の入ったビルを建設。その際、能楽堂を作ったという。その後大澤さんが受け継ぎ、演劇などに貸し出すなどして運営。困っていることとして、ビルの老朽化が進んでおり、取り壊しが決まっているという。そのため、能楽堂も移築する必要があるという。そのため、能楽堂移築のための費用を捻出する必要があり、その活動のため、代々伝わるお宝の価値を知りたいという。
紀元前2世紀から約400年あまり、最強の帝国として君臨した漢王朝。その繁栄のもと、科学・芸術・文化が発展し、後世まで受け継がれた。この時期、焼き物においても技術が飛躍的に向上し、数々の名品が生み出された。その1つが緑釉。緑釉とは鉛を含んだ釉薬に少量の銅を加えたもので配合量と調整具合により、青みがかかった緑から濃い深緑まで様々な緑色のものがある。造形も多彩で日用品から家畜などあらゆる分野に及んでいる。これらの多くは漢時代の古墳から多く発見されている。造形の多くは青銅器を模して作られている。依頼品は緑釉の壺で高さ45cm、全体は濃い緑。青銅器の造形を忠実に再現している。
漢時代の緑釉壺について、大澤さんは評価額は300万円だとしていたが、鑑定額は500万円だった。中島誠之助氏は漢時代のものに間違いなく、メリハリが効くとともに細部まで丁寧に仕事がされていると紹介。第二次世界大戦以前に王族の墓で発掘されたものであり、バランスの良さが魅力的であるとともに土中で銀化したのも特徴だとしている。
アスリートたちが大切にしているものとは?レジェンドアスリートのお宝鑑定大会スタート。スタジオにやってきたアスリートたちはこういう大会を望んでいたと話していた。
日本女子陸上初オリンピック金メダリスト高橋さんから。陸上を始めたのは中学時代で、スターターピストルを鳴らしてみたいと思ったことがきっかけだそう。高校時代は中距離ランナーとして挑んだものの、インターハイ予選落ちなど成績はいまひとつ。しかし「人の倍やって人並み、人の3倍やって人以上」という恩師の言葉を胸に努力を重ねた。大学時代には日本インカレで表彰台にあがった。卒業後は小出義雄監督のもとへ。監督のすすめでマラソンに転向すると、2度目の大会で日本最高記録で初優勝。その後もアジア最高記録で優勝するなど、快勝。オリンピックを目指し、世界一の努力をした人が世界一になれると信じ、毎日2000回の腹筋や高地トレーニングを行った。そして迎えたシドニーオリンピックでは、日本女子陸上初のオリンピック金メダルを獲得。翌年のベルリンマラソンでは世界最高記録を樹立し優勝。女子スポーツ界初国民栄誉賞も受賞した。スタジオで高橋さんは「朝食前に55キロ走っていた」「きょう1日をどう生きるかだった」と過酷な練習について語った。そんな高橋さんはワインが好きで、自宅にはワインコレクションもあるそう。
高橋さんのお宝は2000年にもらったという長嶋監督のサイン入りグランドコート。2000年は長嶋監督のジャイアンツ対王監督のダイエーホークスが叶ったON対決の年。日本シリーズの始球式を任された際にもらったものだそう。高橋さんがシドニーオリンピックで優勝した日付と長嶋監督がリーグ優勝した日付が同じだそうで、その記念の日付を記載してくれたそう。宛名が入っていることで本人評価額は低めの3万円。
高橋さんのお宝、長嶋監督のサイン入りグランドコート。鑑定結果は30万円。最初で最後のON対決の年の貴重な物であること、グランドコートがプロコレクションであったこと、記念すべき日付の心配りなど、2000年のスポーツ界を象徴する記念品だと評価された。
続いては、野球界のレジェンド糸井さん。小学生から野球をはじめ、2003年北海道日本ハムファイターズ入団。当時は投手だったが、3年目に外野手に転向すると超人が目覚めた。プロ野球史上初となる6年連続3割・20盗塁・ゴールデングラブ賞達成。2022年に引退。外国人選手とテレパシーで話せるなどの天然な一面も。引退会見で今後やりたいことを聞かれた際は筋肥大と答えたそう。また、野手転向のアドバイスをはじめてしてくれたのは新庄剛志さんだったという。
糸井さんのお宝は岸駒と岸岱の龍虎図。親子2人で描いたもの。骨董好きな祖父が遺したものだそうだが、「家にある掛け軸は大概ニセモノだ」と祖父が話していたことが気がかりだそう。本人評価額は77万円。しかし鑑定結果は2万円。全体的な構図がなってないニセモノだという評価だった。
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- ギャラリーやすこうち岸岱岸駒
千葉・佐倉市役所職員として佐倉ハーモニーホールの運営に携わる小澤拓実さんの依頼は市が所有するお宝だといい、知名度は高くないが新たな名物となることが期待されると話していた。
佐倉市・西田三十五市長も応援に駆けつける中紹介された市のお宝は超巨大なストリートオルガンだ。パイプオルガンの一種であるストリートオルガンだが、こちらはオランダ製で1898年頃に作られたとみられ、日蘭修好380年を受けて買い受けることが出来たが友情価格として600万円ほどという値段だったという。打楽器も演奏可能となっている。元々は手回しだったが現在は電動に改修されたといい、吹子から空気を流してブックという楽譜から曲を読み取って演奏を行っている。
ストリートオルガンは、モーターや手回しの動力によって音を奏でる自動演奏楽器。自動演奏楽器は、14世紀頃、教会の鐘を遠隔操作で鳴らしたカリヨンが起源とされる。カリヨンの仕組みを応用して作られたのが音楽時計。機械式時計に組み込み、時を知らせる音楽を奏でた。18世紀末、スイスの時計職人がこの演奏部分だけを独立させ発明したのがオルゴール。19世紀になると、バレルオルガンが登場。2分ほどしか演奏できないことが欠点だった。ジャカード織機は、紙に穴を開けたパンチカードで経糸と横糸の組み合わせを制御する。これを楽譜に応用した。経本のように蛇腹式の楽譜を「ブック」と言う。振り子から送られた空気がブックの穴を通り、パイプを鳴らす。従来よりコストもかからず、楽譜も簡単に作ることができた。ブック式オルガンは瞬く間に普及した。音に合わせて人形が動いたり、打楽器を組み合わせたりしたものも登場した。大型のストリートオルガンは、1880年頃から半世紀ほど活況を呈した。特にオランダで愛された。蓄音機が普及すると、ストリートオルガンは次第に姿を消した。依頼品は、1898年製のストリートオルガン。幅6m、高さ2m80cm、重さ約780kg。294本のパイプから8種の音色を奏でる。打楽器は4種。状態は極めて良い。
千葉県佐倉市のお宝「ストリートオルガン」の鑑定。本人評価額は、600万円。市長は1000万円と予想。鑑定結果は、1500万円だった。ストリートオルガンで最も大きなサイズで、状態も素晴らしいという。ベルギーのオルガン製作者であるヨセフ・ブルセンスにより作られたもの。最初はベルギーのダンスホールで使われていて、その後は修復を繰り返しながらストリートオルガンとして使われた。中のパイプは製作当時のまま。
オープニング映像。
「日本を代表する版画家の名品 売ります!」「高額鑑定で彼女を振り向かせるべく 戦国武将のお宝でいざ出陣!」など、このあとの放送内容を予告。
今回は、福島県石川町から。依頼人の鈴木さんは、黒毛和牛の肥育農家。牛舎は標高550メートルの山の中にあり、気温が低く、夏でも快適。飼料は、厳選素材を配合し、水は、阿武隈川水系の天然水を使用している。2010年には400頭を数えるまでになったが、東日本大震災で被災。当時は、佐賀県から稲わらを運んでもらうなど全国から支援を受けたという。鈴木さんが売りたいお宝は、三十数年前からこつこつ集めてきたもの。去年の能登半島地震のニュースを見て、お宝を売り、そのお金を能登半島に寄付したいという。