Q.熱海で新婚さんによって起こったあり得ない事とは? 東京駅から花束を持って熱海にやったまま観光するのは厄介なので、花束を改札口のところに、捨てる場所があったとのこと。大きな箱に捨てていったという。1964年、高度経済成長期の中、東京オリンピックが開幕した。1964年10月1日にあった出来事から熱海の客層に変化があったという。東海道新幹線の開通だ。東京から熱海は150分かかったが、60分になった。会社の忘年会や社員旅行で熱海が選ばれるようになった。駅前には看板を持っている人がたくさんいた。街には下駄の音が一晩中聞こえていたという。1962年創業の熱海ニューフジヤホテル。絶景の温泉が大人気だ。従業員の数は400人以上だったとのこと。庶民に定番の観光地になった。1991年頃、熱海の波もピークになった。宴会場はディナーが終わったらナイトクラブになった。大ピンチが訪れた。TOKYO NODE ボリュメトリックビデオスタジオという最先端のスタジオで撮影した映像が流れた。徳川家康に愛された熱海。1991年にはバブルは崩壊した。日本全体が暗くなった。社員旅行は激減。ホテル旅館は20軒廃業。観光業界全体も尻すぼみとなった。熱海ニューフジヤホテルは、料金を下げた。サービスを充実させた。若い人達には、宴会のイメージ。箱根は食べ歩きなどが充実し、若者に人気があった。熱海は箱根をライバルだと思ったという。ある男が熱海を救った。2012年頃は、テレビの影響力が強かった。市役所の職員がテレビ番組を受け入れる体制を整えた。1人で対応したという。いつでも対応できるよう自分の携帯番号を告知していた。職員の携帯電話は鳴り止まなかった。ニワトリを旅館の客室に放して寝起きドッキリを行う撮影は大変だったとのこと。2人乗り自転車で山道往復ロケハンもたいへんだったとのこと。1番たいへんだった依頼はなにか。