事態を収拾するため、藤原良房は伴善男に罪を背負わせることを選択した。その経緯は奇妙なもので、伴善男の従者を捕らえた後に証言を引き出し、伴善男こそが放火の首謀者であるとしたのである。伴善男は最後まで容疑を否認したが、伊豆への配流処分をうけて京を追われることになった。しかし、当時の都でもこの沙汰には疑問を抱く者が少なくなかったという。伴善男は配流から2年後に伊豆で没し、2人目の容疑者であった源信も落馬で死去するまで屋敷に籠もる日々を過ごした。そして、右大臣の藤原良相も事件の翌年に死去。こうして、事件は藤原良房が唯一の勝者となる結末に終わった。