2023年10月6日放送 1:20 - 2:20 NHK総合

英雄たちの選択
「平安京ミステリー 応天門の変〜容疑者は政権トップ4〜」

出演者
渡邊佐和子 磯田道史 
(オープニング)
今回の放送内容

866年、都の京で発生した応天門の放火事件。その容疑者となったのは、時の政権の有力者たちだった。1人は政権ナンバー2の左大臣・源信。そして、もう1人は優秀な官僚・伴善男。時の太政大臣、藤原良房はどちらに疑惑を向けるのか選択を迫られることになる。今回は古代史最大の疑獄事件、応天門の変に迫る。

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オープニング

オープニング映像。

平安京ミステリー 応天門の変 ~容疑者は政権トップ4~
平安京ミステリー 応天門の変

今回は平安時代の疑獄事件、応天門の変に迫る。藤原氏による日本支配の発端ともなったこの事件に関わっていたのは、藤原良房をはじめとする時の政権トップ4だった。

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平安京ミステリー 応天門炎上

流行病や不作、富士山の噴火といった凶事が続いていた最中に起こった応天門の炎上事件。最初に放火の容疑をかけられたのは、時の政権ナンバー2である左大臣・源信だった。右大臣・藤原良相と大納言・伴善男は源信に反逆の疑いがあるとして実力行使に及ぶ。しかし、太政大臣にして藤原良相の兄でもある藤原良房はこの動きを警戒し、清和天皇に確かな証拠がない以上は源信を罪に問わないように進言した。清和天皇はこの意見を容れ、応天門の火災は原因不明として処理された。しかし、5ヶ月後に1人の下級役人が「伴善男が応天門に放火した」と告発したことで事態は急変。共に容疑を否認している源信と伴善男、どちらが真犯人であるか悩んだ清和天皇は藤原良房を摂政に任命し、事態の解決を彼に委ねた。

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平安京ミステリー 応天門炎上の衝撃

当時の応天門は朝廷の顔とも言える代物。そんな応天門が炎上とする空前の事態に対し、超自然的なものを崇拝していた人が多かった当時は「門の炎上は天が帝に罰を与えた」という意見も浮上しており、事は単なる刑事事件ではなく朝廷の権威を揺るがしかねない事態になっていたと言える。

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平安京ミステリー 応天門の変 容疑者は天皇の子・源信

応天門の変における容疑者の1人・源信は嵯峨天皇の子で、嵯峨源氏として藤原氏をも脅かす存在として君臨していた。自身も武芸に秀でていた源信は配下に武芸者を多く抱えていたが、これが災いして藤原良房が流行病によって生死の境を彷徨った864年には謀反の疑いをかけられている。この時は配下の武芸者を追放することで一応の決着をみたが、源信に対する疑念は残った。

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平安京ミステリー 応天門の変 容疑者は名門の末流・伴善男

源信批判の急先鋒だったのがもう一人の容疑者・伴善男。伴善男は天孫降臨の先導を務めたとされる名門・大伴氏の末流。大伴氏は壬申の乱における活躍によって朝廷内の地位を確固たるものにしたが、伴善男の曽祖父の時代からは政権争いの末に獄死や配流によって失脚。伴善男は大伴氏の復権を目指して有能な官吏となり、朝廷内で頭角を現していったもののその性格は褒められたものではなく、周囲からの評判は良くなかった。それでも藤原良房に接近して関係を深めた伴善男は若くして大納言にまで上り詰めた。

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平安京ミステリー 応天門の変 容疑者は天皇の子と有能な官僚

応天門の炎上は次第に権力闘争の面を帯びていく。叩き上げの能吏と呼べる伴善男に対し、天皇の子として非常に高い政治力を有していた源信の両名が容疑者となったが、伴善男はさらなる権力を求めていた可能性もある。そうなれば、ナンバー2であり自身との縁がない源信をターゲットに据えるのは自然な流れに見えてくる。これらの事実から磯田は伴善男を疑ってしまうとコメントした。

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平安京ミステリー 応天門の変 政権一の実力者・藤原良房

事態の解決を担うことになった藤原良房は当時の政権トップの地位にあった。藤原氏は天皇家に娘を嫁がせることで勢力を拡大してきた一族で、政変の末に対抗氏族を排斥したことで朝廷内の地位を築き上げた。藤原良房は当時17歳と幼かった清和天皇に代わり政治的な決定を行うという業務を担っており、その点においてはまさしく天皇の代理と呼べる地位にあったといえる。

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平安京ミステリー 応天門の変 疑惑の次期権力者・藤原良相

一見すれば盤石な政治基盤を整えていたように見える藤原良房だが、唯一の不安要素が自身の弟である政権ナンバー3の藤原良相だった。藤原良相は高齢の良房に代わり政治の実務を担っており、それを利用して自身の権力を拡大。さらに、後継ぎも天皇に嫁がせる娘もいない良房に対して良相は後継ぎに恵まれ、天皇に嫁がせていた娘も寵愛を受けるなど政治的に極めて恵まれた地位にあった。その権勢は兄の良房をも凌ぐほどだったという。「大鏡裏書」には良相が良房に無断で源信を容疑者として捕らえようとする動きが描かれており、良相が良房から権力を簒奪しようと考えていたことが伺える。

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平安京ミステリー 応天門の変 政権トップ藤原良房の選択

藤原良房にとっては幸運なことに、応天門の変の関係者は皆彼にとって都合の悪い人間だった。最大のライバルである嵯峨源氏の源信、勢力を伸ばしてきた身内の藤原良相、そして実際に告発された伴善男。藤原氏にとっては嵯峨源氏の源信を排除するのが最も得策だが、自身を脅かす良相も無視できない。はたまた、その両名に代わり野心家で疎まれている伴善男に罪を着せるべきか。藤原良房が最終的に下した判断は?

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平安京ミステリー 応天門の変 誰に罪を負わせるのか?

藤原良房の選択について、中野は自身に最も近い身内・藤原良相の失脚を狙うべきと提唱。平野は「政治闘争よりも事態を丸く収める方を選ぶのではないか」と伴善男を選んだ。そして、本郷は「良房の権力欲の強さは無視できない」として権力を独占するために源信を排除するとした。そして、磯田は藤原良相を罰すれば一族内闘争になり、源信を罰すれば天皇を敵に回すとして伴善男を選んだ。

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平安京ミステリー 応天門の変 罪を負った伴善男

事態を収拾するため、藤原良房は伴善男に罪を背負わせることを選択した。その経緯は奇妙なもので、伴善男の従者を捕らえた後に証言を引き出し、伴善男こそが放火の首謀者であるとしたのである。伴善男は最後まで容疑を否認したが、伊豆への配流処分をうけて京を追われることになった。しかし、当時の都でもこの沙汰には疑問を抱く者が少なくなかったという。伴善男は配流から2年後に伊豆で没し、2人目の容疑者であった源信も落馬で死去するまで屋敷に籠もる日々を過ごした。そして、右大臣の藤原良相も事件の翌年に死去。こうして、事件は藤原良房が唯一の勝者となる結末に終わった。

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平安京ミステリー 応天門の変 善男に罪を負わせた良房の決断/平安京ミステリー 応天門の変 絵巻に込められた思い/応天門の変によって 決められた日本社会の形

忠実な部下であった伴善男に罪を背負わせる道を選んだ藤原良房。本郷は「仕事のできる人間を排除したという点では下策だった」と評し、後の菅原道真が配流された事態にも繋がっていると指摘した。磯田はこの判断が世襲による日本的な「ぬるい社会」を構築することになったとし、藤原氏による日本支配が645年の大化の改新から1945年の近衛文麿の自殺まで1300年にわたり継続する契機を作ったとした。

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(エンディング)
エンディング

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