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「忠臣蔵討入」 のテレビ露出情報

蔦屋重三郎が喜多川歌麿や東洲斎写楽をプロデュースしてきた。蔦重に匹敵する版元がいた。企画展「蔦屋重三郎と版元列伝」が太田記念美術館で開催中。学芸員・赤木美智さんが紹介する。葛飾北斎の「冨嶽三十六景」をプロデュースした西村屋与八は蔦重と同時期に活躍した版元で老舗版元として3代まで続いた。北斎は勝川春朗の名で役者絵などを描いていた。北斎に風景画を描かせた版元。大判の依頼は期待の表れだった。3代目の勝算はベロ藍。また富士信仰が高まっていた時代だったため注目を集める題材として富士山は最適だった。さらに1818年から1830年にかけて風景画入りの狂歌絵本が人気があったという。狂歌絵本で風景画を楽しむ人が増えた。狂歌絵本の出版に力を入れていたのが蔦重だった。時代の流れを読んだ西村屋は駆け出し時代の広重を見いだした。竹内孫八がヒットさせたのは「東海道五拾三次之内」。竹内孫八は新興版元で、広重を人気絵師にするためだけに版元になったような人物。東海道五拾三次之内は旅ブームを作品にいち早く取り入れ風景の中に日常のひと時を入れ込んだ。広重は新たな版元とともに中山道などを描き風景絵師の地位を築いた。浮世絵を手掛けた版元は詳細が分からない版元を含めると1000を超える。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月18日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニングGOOD!いちおし
葛飾北斎にゆかりのある江戸名所を巡る。両国橋からスタート。渡邉晃さんによると葛飾北斎は墨田区の中で生涯で90回以上引っ越しする。「絵本隅田川 両岸一覧」は両国場所を描いた作品。1日に2万人の行き来があったという説もある。1657年「明暦の大火」は6万8000人の死者を出し、日本最大の火災。多くの犠牲者が出た原因の1つが、隅田川にかかる橋がほとんどなく逃げ遅れ[…続きを読む]

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