鈴木の趣味はトライアスロンでランニングは日課。仕事を終えたあとに毎日10キロ走っている。走ってきた道は山あり谷ありだった。1971年に岐阜県山県市で生まれた。実家は家族で縫製工場を営む家。覚えている子どもの頃の日常は、夕食では工場の会議の場で売上の話などを聞いていたという。そんな環境からか将来、事業をやってみたいと思うようになった。しかし大学時代には、夜な夜な繁華街に繰り出す生活をしていた。バーテンダーのアルバイトを始め、ついには就職浪人をした。その頃バーテンダーの先輩が独立しウチで働かないかと誘いをうけた。それがゼットン1号店だった。入社した鈴木は店長を任され業績の悪かった店を建て直すとこの仕事に夢中になった。そして自分で事業をしようと思うと独立する必要があったが部下と離れることが悩ましかったが、ゼットンの社長になることを決断。その後ゼットンは東京に進出し鈴木が責任者を任され、3年後には売上を10億円にまで伸ばした。この実績から33歳で副社長になったが突然体調に異変が生じた。下腹部の違和感で調べると、軟骨芽細胞腫と診断された。しかし愛知県がんセンターの医師からは歩行困難になる可能性があると言われたという。幸い、手術は成功し、その後リハビリでランニングを始めた。街を走り出すとこれまでに見ていなかった景色に目が行くように。病が公園事業に興味をもつきっかけになった。2016年には事業継承し鈴木が社長に。その後、葛西臨海公園での飲食事業が公募され鈴木自ら現地を訪ねると葛西臨海公園の自然環境が宝だったという。しかし、社内会議では事業に反対する声があった。当時の葛西臨海公園は治安が悪かった。