太田家寄宿人の長松要吉は、昼時に幹雄の様子に気付いたという。顔の下には固まった血が盛り上がり、喉の一部は鋭くえぐられていた。側頭部は親指大の穴が開き、すでに息はなかったという。太田の妻マユの姿が見えなかった。周辺住民はマユを捜索。林の中でマユの遺体が見つかった。通夜のとき、ヒグマが入ってきた。300キロを超える巨体だった。全員無事だった。ヒグマは暗闇の中に消えた。北海道大学の坪田教授は、ヒグマは臆病な動物だという。滅多に人に姿を見せない。食べ物はほとんどが草や樹の実。家の外にあるトウモロコシに行き着いた。人間の家は怖くないと学習したのだろう。トウモロコシを隠せば被害は防げたかもしれない。至近距離で悲鳴をあげ、クマを驚かえたのだろうという。マユの遺体を持ち帰ったことで、ヒグマはエサを奪われたと思ったのかもしれない。それを取り返しに来た可能性がある。史上最悪のヒグマ襲撃事件となった。開拓者とヒグマの戦いがはじまった。太田家にいた面々は、明景家に避難していた。女性2人、子ども7人、用心棒1人の10人。人々は六線沢を去る決断をした。ヒグマは無人の集落を荒らし回った。太田家は何度も荒らした。大討伐隊が結成された。三毛別と六線沢の中央に陣取った討伐隊。実際の現場付近に行ってみた。川幅は10-15m。射止橋と名付けられた橋の付近。この場所でヒグマと対峙した。伝説のマタギと呼ばれる山本兵吉。生涯で300頭のヒグマを仕留めた男。頭を撃ち抜いた。三毛別ヒグマ襲撃事件は幕を下ろした。自然本来の姿ではヒグマは臆病だ。対応を間違えると凶暴になる。人はどう行動をとればいいのか。六線沢にはこの事件のモニュメントが設置されている。