2025年5月21日放送 19:00 - 21:00 フジテレビ

世界の何だコレ!?ミステリー
SP▼なぜクマは凶暴化?1週間で消滅した集落…

出演者
蛍原徹 きゃりーぱみゅぱみゅ 
(立ち入り禁止 謎の現象 悲劇の事件 日本の集落SP)
ラインナップ

日本に実在したなんだコレ!?な集落SP。

1月24日の夜 海を見てはいけない村!?

泉津では1月24日の夜、絶対に海を見てはいけない村がある。海をみると身内に事故があったり、死んでしまうという言い伝えがあるという。ヒイミサマは泉津に住んでいた若者25人のこと。年貢が厳しいと若者たちは訴えたが、役人は聞かず殺された。その後若者は森で船を作り、別の島へ。そのまま海で命を落としたという。その霊が海から島に戻って来るという。一方で、村のために命を落とした若者を憐れみ、祠を建てて大切に守っている。

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泉津(東京)
住民しか入れない 立ち入り禁止の集落!?

住民しか入れない 立ち入り禁止の集落!?その集落は岐阜県の山奥、湖に近い。どんな集落なのか早速行けるところまで行ってみると、向かう道の途中で立ち入り禁止の看板が。フェンスの先の集落へ行く方法はないか、地元の人に聞いてみると船でなら入れるのだそう。集落へ向かうという人のボートに同行させてもらうことに。湖を進むこと15分。さらに、ここから車に乗り換え山奥へ。車で走ること約30分。目的の集落にたどり着くと、そこには数軒の民家が見える。一見何ら変わったところはないように見えるが、なぜここに立ち入ることができないのか。かつてこの場所には集落へ続く道があったというが、平成20年に徳山ダムが完成したことで道はダムの底に。この集落までの交通網が遮断されたため、ボートが利用できる元住民以外は立ち入ることが難しくなってしまった。そんな中、元住民の方々が今もこの集落を訪れるのにはある理由が。元住民の男性は「自分たちのふるさとを保全すること」などコメント。ふるさとを守りたいとの思いから集落へ通い続けているというかつての住民の方々。さらに元住民の男性にはもうひとつこの場所を守る理由がある。それは、きれいな空の星などの自然。

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Google Earth岐阜県徳山ダム門入集落(岐阜)
オソロシドコロ

オソロシドコロ。その場所は長崎県対馬市の山の中にあるという。地元では足を踏み入れると災いが起こると言われ、人々に恐れられてきた。オソロシドコロとはどんな場所なのか、そしてなぜ1300年前から立ち入り禁止なのか?現場を直撃。タクシー運転手は「異様な場所。最初の鳥居は入っていい。その奥に行ったらまた鳥居があって、それより中は立入禁止」など話した。

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オソロシドコロ対馬市(長崎)

長崎・対馬市の山奥にあるオソロシドコロ。地元住民に恐れられ、1300年間立入禁止されている。現場を直撃。鳥居をくぐり山の中へ。歩き始めて約15分、2つ目の鳥居。この先が立入禁止のオソロシドコロらしい。鳥居の奥には3mほど積み上げられた石があった。一番上には祠らしきもの。歩き始めて約3時間、赤い鳥居を発見。ここにも石積みがあった。対馬市観光ガイドの権堂悦教さんは「天道法師を祀ってある申請なる聖地。みんなが信仰の場として守ってきた」「神聖な場所を汚さないように」と話した。2つの石積は天道法師とその母の墓と言われているという。

次々と村人が倒れる 怪奇の村!?

高知県のとある村。平地はわずかしかなく、限られた場所に家々が点在。畑や水田を作り人々は暮らしていた。明治以前からある祟りに恐れて生きてきたという。それは名主の祟り。その昔、名主が無念の死を遂げ、村人たちの末裔を祟っていると信じられていた。毎年夏には魂を鎮める儀式が行われたが、ほっぱんと呼ばれた名主の祟りは収まることなく次々と村人が命を落としていった。

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今夜のラインナップ

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好き嫌いダウト最弱王決定戦

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(立ち入り禁止 謎の現象 悲劇の事件 日本の集落SP)
高知「村人を襲う名手の祟り!?”ほっぱん”とは…」

1942年夏、川の堤防工事に参加し土の掘り起こし作業などを行った村の女性3人が突然の寒気に襲われ何日間も高熱が続いた後、体じゅうに赤い発疹が出た。女性たちは名主の祟りほっぱんと気づく。約3週間後、死への恐怖から取り乱したようになり、後に意識不明なり死んでいく。1951年夏、ほっぱんの話を聞きつけ、東京大学医学博士の佐々学が村の古老・沢田文五郎を訪ねた。村民は偉い人の所有物と知らずに木材を使用してしまい、責任を一身に背負ったのが名主・掛川新吉。夏の出来事であったことから、夏に起こるほっぽんは死んだ名主の祟りと言い伝えられるようになった。佐々によって「ほっぱん」はツツガムシは病と判明。現在、この地域は環境も整備され、新種によるツツガムシ病は数十年間報告されていない。しかし今も全国では年間数百人が被害にあっている。福井大学医学博士・高田伸弘先生は「ツツガムシ病にかかると刺し口、発熱、発疹の所見がみられる」と話した。早期発見が大事。

壮絶!一週間で消滅した集落!?

約100年前、北海道に実在した集落で1週間に起きたある壮絶な出来事で消滅。集落の名は「六線沢」。集落があったのは、北海道北西部の森に囲まれた狭い地域。明治の始め、全国各地から開拓者が移住。六線沢には15の家族約40人が住んでいた。ことの発端は大正4年11月初旬、六線沢に住む池田富蔵の家である異変が起きた。壁を蹴るような音、そして馬の嘶き。外で異様な気配を感じた。周りを見渡しても誰もおらず、大きな被害はなかったため対して気にも止めていなかった。そして12月9日が悲劇の幕開けとなった。この日は集落の年中行事のため、男たちは朝から家を空けており、太田家では妻と息子が留守を任されていた。昼時、太田家に身を寄せていた長松が戻ったときのこと。

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六線沢(北海道)太田マユ太田三郎太田幹雄池田富蔵長松要吉
北海道「壮絶な一週間で…消滅した集落!?一体何が」

太田家寄宿人の長松要吉は、昼時に幹雄の様子に気付いたという。顔の下には固まった血が盛り上がり、喉の一部は鋭くえぐられていた。側頭部は親指大の穴が開き、すでに息はなかったという。太田の妻マユの姿が見えなかった。周辺住民はマユを捜索。林の中でマユの遺体が見つかった。通夜のとき、ヒグマが入ってきた。300キロを超える巨体だった。全員無事だった。ヒグマは暗闇の中に消えた。北海道大学の坪田教授は、ヒグマは臆病な動物だという。滅多に人に姿を見せない。食べ物はほとんどが草や樹の実。家の外にあるトウモロコシに行き着いた。人間の家は怖くないと学習したのだろう。トウモロコシを隠せば被害は防げたかもしれない。至近距離で悲鳴をあげ、クマを驚かえたのだろうという。マユの遺体を持ち帰ったことで、ヒグマはエサを奪われたと思ったのかもしれない。それを取り返しに来た可能性がある。史上最悪のヒグマ襲撃事件となった。開拓者とヒグマの戦いがはじまった。太田家にいた面々は、明景家に避難していた。女性2人、子ども7人、用心棒1人の10人。人々は六線沢を去る決断をした。ヒグマは無人の集落を荒らし回った。太田家は何度も荒らした。大討伐隊が結成された。三毛別と六線沢の中央に陣取った討伐隊。実際の現場付近に行ってみた。川幅は10-15m。射止橋と名付けられた橋の付近。この場所でヒグマと対峙した。伝説のマタギと呼ばれる山本兵吉。生涯で300頭のヒグマを仕留めた男。頭を撃ち抜いた。三毛別ヒグマ襲撃事件は幕を下ろした。自然本来の姿ではヒグマは臆病だ。対応を間違えると凶暴になる。人はどう行動をとればいいのか。六線沢にはこの事件のモニュメントが設置されている。

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Google Earthヒグマ北海道大学太田マユ太田幹雄慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件斉藤石吾郎明景ヤヨ明景力蔵苫前町猟友会長松要吉
(壮絶記録)
遭難船を引き寄せる恐怖の島!?

遭難船を引き寄せ、漂流者を絶望の淵に立たせる恐怖の島・鳥島。記録や文献は国立公文書館・国会図書館などに記録されており、現在は立入禁止となっている。1785年、ある遭難船が島に上陸した。

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国立公文書館国立国会図書館鳥島
遭難船を引き寄せる恐怖の島!? 失望・孤独を乗り越え12年後に生還

漂流から10日以上すぎた頃、命からがら太平洋に浮かぶ島に上陸。断崖絶壁の島に高波が押し寄せ、船が破壊され帰るすべがなくなった。彼らは土佐藩の船乗り。現在の高知県香南市香我美町岸本からコメを運ぶため 、1785年1月29日出航。強風と高波に襲われ、2月14日鳥島に漂流。島の周囲は約8km。偶然見つけた洞窟で体を休める。2月15日、恐怖の島の正体が判明。川や盛りが存在せず、着るための出需品が何も無い無人の孤島だった。食べものは海藻や貝のみ。雨水と洞窟の水滴で命を繋いだ。2月17日、崖の上には大きな鳥が一面に生息。翼を広げると2mを超える。山階鳥類研究所・富田直樹博士は「アホウドウリ。現在は絶滅危惧種に指定」などと解説。食料は確保。しかし3月、突如島から鳥が消えた。干物にして食糧を確保した。漂流から1年半、1人が逝去。1786年8月、2人が体に不思議な痛みを訴え逝去。長平はたった1人になった。順天堂大学・柳川洋一医師は「脚気だと思う」と解説。1786年、謎の箱を見つける。

(お知らせ)
採用されたら1万円

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(壮絶記録)
遭難船を引き寄せる恐怖の島!? 失望・孤独を乗り越え12年後に生還

1786年、長平は島を歩き回っていると別の洞窟を見つけた。そして奇妙な箱を見つけた。箱の中には人の骨が入っていた。長平は健康維持を心がけ、さらに大鳥の羽で羽衣を作った。飲水については、卵の殻を使って雨水をためた。長平は毎日欠かさずに月の観察を行った。

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野村長平

無人島生活の3年が経った頃、長平の前に人が現れた。彼らは大阪を出て同じように高波に襲われ、2ヶ月ほど漂流したあとこの島に数日前にたどりついた。彼らの船も壊れてしまったという。1790年1月末、大阪の船が漂着してからおよそ2年後、新たな漂流者が島へやってきた。薩摩からきた彼らは羽衣を着た姿が遠くから見ると鬼に見えたという。遭難船が鳥島へ引き寄せられる理由は、四国の沖から東に向かって流れている黒潮に乗って東に行ったということが考えられるとのこと。黒潮は大蛇行が発生し、南へ向かう流れとなるという。その流れに行くと鳥島へ南下する。この島を脱出することを夢見て、船を作るための流木集めが始まった。

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好き嫌いダウト最弱王決定戦

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(壮絶記録)
遭難船を引き寄せる恐怖の島!? 失望・孤独を乗り越え12年後に生還

島を脱出しようと、船をつくるための流木集めが始まった。流木を集めること3年。ここで必要になったのは鉄。岩の隙間に破壊された船のイカリを見つけた。造船開始から約5年、長平が漂着してから約12年。長さ約11m、幅約2m、約300枚の板を使った船が完成した。1797年6月8日に島を脱出し、5日後青ヶ島に到着。それぞれの故郷に戻ることができた。現在の鳥島は、天然記念物に指定されており、許可なく立ち入ることはできない。上陸したことのある高橋氏は、活火山のため、地中の温度が高い、火山岩質のため、雨が降っても水を吸い込む、生きる可能性が失われている状況などとした。現在、長平が生まれ育ったまちには、像が建てられ、勇姿がたたえられている。

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(世界の何だコレ!?ミステリー)
青木ヶ原樹海の中に四角い形の謎エリア 一体この場所は?大自然の樹海を進み直撃

続いては富士山の麓、青木ヶ原樹海の中に四角い形をした集落のようなものが。ガイドの方に同行いただき、謎のエリアを目指し樹海の中へ。およそ1200年前の噴火で流れ出た富士山の溶岩の上に出来た樹海。溶岩が冷えてできた大地は硬いため、木の根が地表に出た独自の景観が広がる。森を進むと、樹海の中に突如大きな穴が。溶岩が流れた跡とのこと。樹海の中には何箇所かこのような穴があるという。穴の中は夏でも0℃に保たれていて、江戸時代には冷蔵庫として使用された。巨大な洞窟の最深部には氷筍と呼ばれる大きな氷のオブジェがあった。樹海を進むこと3km、目的の謎エリアに到着した。樹海荘という民宿があった。精進湖民宿村には200人ほどが暮らしている。郵便局もあり、かつては学校や保育所などもあったという。民宿村には国道139号線を使って車で行くこともできるという。

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