- 出演者
- 蛍原徹 きゃりーぱみゅぱみゅ 小木博明(おぎやはぎ) 谷まりあ
アメリカ・ニューヨーク州で緊急車両が集まっている物々しい映像を紹介。これは、緊急車両が小児病院の前に集まって、入院している子どもたちのために回転灯をつけて楽しませているものだという。
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- ニューヨーク州(アメリカ)
アメリカ・ハワイ州の動物病院で撮られた動画を紹介。獣医師らが動物の前で奇妙なダンスをしている。これは、動物を落ち着かせるために行われているという。
アラスカ沖の深海で捉えられた謎の物体の映像を紹介。物体は金色。深海は光が届かないため、本来、金色である必要がない。発見した専門家らはサンプルを持ち帰り。現在、謎の物体が何かを調査中。
インドネシア・ボルネオ島で撮影された不思議な生き物の映像を紹介。川の中から伸びる手のようなもの。専門家によると、正体はミズオオトカゲ。恐らく、現場には漁師が使っている刺し網が設置されており、それに引っかかってしまった可能性があるという。
羽田から函館へ向かう機内から撮られた不思議な物体の映像を紹介。専門家の見解に基づき、現地を調査。すると、北海道・知内町にある火力発電所の煙突の先端に似ていることが判明した。
ノルウェーで撮影された空に浮かぶ緑色の光の映像を紹介。専門家によると、この光はNASAが行った人工オーロラ実験。オーロラができている状況の空を調べるために目印になるような化学物質をロケットから放出しているという。
昨年4月、中国・酒泉市で目撃された不思議な発光体の映像を紹介。専門家によると、酒泉衛星発射センターから打ち上げられたロケットの1段目、または人工衛星の大気圏再突入ではないかとのこと。
イギリスで撮影された不思議な光景の映像を紹介。部屋の壁に隣の家が映っている。撮影されたのは日没の直前。部屋は薄暗い状態だったという。専門家によると、太陽の光が向かいの家に当たって反射。その光がカーテンの小さな隙間を通って逆さまに白い壁に映されているものだという。
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- イギリスポピュラーサイエンス研究所
視聴者から寄せられた宮城県の不思議な建造物を調査。衛星写真には山奥に謎の建造物が写っている。鰻和弘が現場に向かった。建造物の山道には車一台が通れる道が。まず見えてきたのは年季の入った鳥居。鳥居をくぐり階段を上った先には木造の建造物があった。これが衛星写真にあった謎の建造物。建造物には食べ頃のみかんが添えられていた。地元の人への聞き込みで、金剛寺という寺に関係する場所だと教えてもらった。山奥にあったお堂は、その昔、今よりももっと山奥にあったそうだが、老朽化などの理由で現在の場所に移設。90年以上前に建立され、弘法大師像を安置していたそう。高齢化や山奥という立地からお堂への参拝者が減少。約20年前に弘法大師像が金剛寺に移されたという。
回しても回しても右を向く矢印の映像を紹介。これを作成したのは、明治大学・杉原厚吉研究特別教授。
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- 明治大学
歴史ミステリーVS超能力の番組宣伝。
世界フィギュアの番組宣伝。
回しても回しても右を向く矢印の映像を紹介。これを作成したのは、明治大学・杉原厚吉研究特別教授。真上から見ると左右対称の立体。立体は起伏があり、目の錯覚を利用して矢印に見えるようになっている。杉原さんは世界の錯覚作品が集結して行われるベスト錯覚コンテストで4回優勝している。
明治大学・杉原厚吉研究特別教授が作成した錯覚作品を紹介。丸い筒が6つに見えていたものを逆さにすると四角い筒が8つに。上から見ると丸と四角の中間のような形が。これも起伏があり、目の錯覚で起伏が分かりにくい構造になっている。
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- 明治大学
開かずの金庫を解錠調査。依頼主は古民家を借りているという尾上さん。カフェをオープンさせるために古民家を借りたが、工事していた頃から開かずの金庫が置かれていた。大家も金庫の持ち主が分からないといい、許可を得て今回依頼してきたという。鍵開け師の本嶋さん協力の下、鍵開けスタート。錆びついて固くなったダイヤルとグラグラなレバーという最悪な条件が重なり、難易度は最高レベルだという。時間だけが過ぎていき、タイムリミットにより、この日の作業は終了。
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開かずの金庫を解錠調査。後日、鍵開け師の奥間さんが参戦し、鍵開け再スタート。2日にわたる作業で開かずの金庫が解錠した。
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- ジャパンベストレスキューシステム
開かずの金庫を解錠調査。開かずの金庫には200円が入っていた。
1935年3月8日は忠犬ハチ公がこの世を去った。多くの人に知られている忠犬ハチ公だが、実はあまり知られていない驚きの真実があった。
「忠犬ハチ公 -知られざる真実の物語-」の再現VTR。1924年に上野英三郎がハチと出会う。ハチは体がとても弱く徹夜の看病もしばしばだった。そして半年が過ぎた頃、通勤の送り迎えをするようになっていた。1925年5月21日、英三郎はでかけたまま帰らぬ人となった。英三郎とハチが過ごせたのは約1年4か月ほどだった。その後、ハチが唯一頼れたのが八重子だったが、英三郎とは内縁の関係。死後はその家を出ていかなくてはならず、知人の家に居候することになった。そのため、ハチは知人に預かってもらうことになった。しかし、ハチは厄介者扱いされ、親戚に預かってもらうことに。ここでも紐に繋がれた生活だった。散歩に出ても悪口を言われるようになった。