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「口伝 我が人生の辞」 のテレビ露出情報

映画俳優が所属する会社の映画にしか出演できなかった状況を嘆いていた裕次郎は日活を退社し、昭和38年に石原プロモーションを設立した。黒四ダム建設に立ち向かう物語をやりたいと三船敏郎に協力を求め、映画「黒部の太陽」の制作が動き出した。協力を要請した関西電力と建設会社各社がバックアップした。2人は壮大なスケール感にこだわり、一切の妥協をしなかった。その後も石原プロは企業とのタイアップで大スケールの映画を制作したが、日米合作の「ある兵士の賭け」で5億8千万円の負債を抱えた。時を同じくして石原プロにオファーされた「太陽にほえろ!」が窮地を救った。最高視聴率40%、14年も続くヒットドラマとなった。銀座の真ん中に装甲車が登場したり遊園地でカーアクションをしたりと何でもありだった。裕次郎と石原軍団は国民的な人気となった。

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