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「掌」 のテレビ露出情報

あすメジャーリーグ開幕。そこで大谷選手のゆかりの人と場所を取材。岩手・奥州市へやって来たevery.ディレクター金井博紀。駅構内の施設に貴重なものが多数展示されている。花巻東時代のサイン色紙に北海道日本ハムファイターズ時代のユニホームとサインも。金井は大谷選手が野球人生をスタートさせた水沢リトルリーグへ。大谷選手は当時エースでキャプテンだったそう。東北大会で優勝。チーム新設以来初めての全国大会出場に貢献したという。全国大会の貴重な映像を見せてもらった。リトルリーグ時代ストレートは110~115キロ出ていたという。監督は当時の大谷選手について「翔平頼りでしたね。負けず嫌いが前面に出る子だった」等と明かした。金井はバスに乗って次の目的地の姉体小学校へ。国道からも見える横断幕が飾られていた。母校には大谷選手のサインに実際に型取りした握手像が。そして去年12月に届いた3つのグローブ。全クラスを一度回り、この日から予約表を使って貸し出すことに。しかし、雪のため使われているところを見ることは叶わなかった。野球をやっているという児童は大谷選手について「世界の誰もが憧れる存在。大谷選手はタンパク質とかをいっぱい取るからマネして生活している」と話した。登校を見守っていたスクールガードの立花さんは「大谷くんは大きいから後ろから行くでしょ、そうすると前のやつに突っついたりする。そういう仕草は大きくなっても同じ」と話した。さらに下級生への面倒見が良かったと明かした。
続いて訪れたのは大谷選手が小学生の頃に通っていた理容室。大谷少年の髪を切っていた佐々木さんに会えた。店を続けて67年。「お父さんが終わるのを待ってるおとなしい子だった。「おりこうさんだね」って言うと笑って」と話した。中学生まで来ていたというバッティングセンター。店主の小林さんに話を聞くと「中学3年生近くまで来ていたような気がするな」と話した。打っていたというのは4番ブース。高速・中速・低速から速度を選ぶのだが、高速138キロも実は150キロとのこと。大谷選手は中学生で150キロを打っていた。ここで中学生の時に後輩で高校生だった大谷先輩と一緒に自転車に乗って帰ったことがあるという人物に遭遇。「誰に対しても優しい」と話した。さらに坂道で自転車がパンクもそのまま乗って帰ったとのエピソードを明かした。自転車をパンクさせたという南中坂を歩いて水沢南中学校へ。副校長が見せてくれたのは7.5メートルの横断幕。取材の2日後に構内の一番目立つ場所に張られたそう。副校長は当時の担任に聞き取りをしてくれていた。すごく運動神経もよくて人を引きつける魅力もあったという。ただ、目立つ性格ではなかったそう。硬式のシニアのチームと学校の軟式野球部に所属していたという。シニアの練習がない時は軟式野球部に参加。他の部員の手伝いをしていたという大谷選手。当時から周りを思いやる心を持っていたそう。取材を続けていると幼少期を知る方に話を聞くことができ、小学3年生ぐらいの時に初めて買ったCDを教えてくれた。調べてみると「掌/Mr.Children」の可能性が。明日は花巻東高校へ。

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