桐谷キャスターは文化学園服飾博物館を訪れ、「衣服が語る戦争」という企画展を企画した村上さんに案内してもらった。昭和初期の衣服の柄には戦闘機や国旗などが描かれていた。そうした柄は戦争柄と呼ばれ流行したという。村上さんは登場したのは明治時代の日清戦争・日露戦争のあとぐらいだとした。戦争柄の流行は1930年代まで続いた。その流行を体験した渡辺チヱさんは、男の子が戦争柄を着ているのは小さい子は当たり前だったなどと話した。戦争柄を集め研究している乾淑子教授は、初期の戦争柄は羽織の裏などに描かれた贅沢品だったが、昭和に入り子どもや女性用も増え大衆化したとした。乾さんは、空襲が始まるまで日本人にとって戦争は他人事だった、戦争柄を受け止めていなかったはずなどと話した。
こうした戦争柄は太平洋戦争による物資不足とともに姿を消した。代わりに普及したのが洋服。当時の婦人標準服は国が推奨した婦人服で節約を重視したデザインだった。それらは、着物から洋服へのリメークだった。ファッションについて国からの強制はあったのかと聞かれた村上さんは、それを否定し、誰かが着ていると自分も着なければいけないといった日本人の協調等が盲目的になる怖さがあるのではなどと話した。
こうした戦争柄は太平洋戦争による物資不足とともに姿を消した。代わりに普及したのが洋服。当時の婦人標準服は国が推奨した婦人服で節約を重視したデザインだった。それらは、着物から洋服へのリメークだった。ファッションについて国からの強制はあったのかと聞かれた村上さんは、それを否定し、誰かが着ていると自分も着なければいけないといった日本人の協調等が盲目的になる怖さがあるのではなどと話した。
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