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「新交響楽団」 のテレビ露出情報

ベートーベンの「交響曲第9番」。この「第九」を生涯250回以上タクトを振った指揮者の朝比奈隆。平成13年93歳で亡くなったがその年まで現役だった。1908年、明治41年に東京で生まれた朝比奈は音楽学校の教育を受けたことがない。高校時代からスポーツに明け暮れ京都大学法学部に進学後もサッカー選手として活躍した。また趣味で始めたバイオリンのために京大オーケストラ部に入り後に朝比奈の運命を変えたロシア人指揮者エマヌエル・メッテルと出会った。卒業後は阪急電鉄に入社し2年間サラリーマン生活を送ったがけん怠感を感じて退職。京大に戻って今度は文学部に入学した。朝比奈は27歳の時にメッテル先生の代役として初めて指揮台に立った。以来、経験で学ぶよりほかには上達の道はなかった。戦時中は中国大陸に渡りヨーロッパやロシアの一流演奏家が集う上海やハルビンなどで指揮者としての経験を着実に積み重ねた。終戦後、日本に引き揚げた朝比奈は1947年に関西交響楽団後の大阪フィルを結成し常任指揮者に就任する。焼け跡に残った新聞社のホールで朝比奈はベートーベン「第九」の3日連続公演を行った。大阪フィルは54年間の朝比奈の指導で一流のオーケストラに成長した。朝比奈はまた経済界から古典芸能まで広い人脈を生かして関西の楽壇を盛り上げるために積極的に働きかけクラシックファンの輪を広げた。20代30代の熱狂的な朝比奈ファンも多く特にベートーベンやブルックナーのチケットはあっという間に売り切れた。朝比奈は生涯ベートーベンを深く尊敬し「第九」だけでも250回以上演奏したが、一回一回を大切にする気持ちを忘れなかった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年12月28日放送 1:59 - 3:29 日本テレビ
粗品と絶品クラシック粗品と絶品クラシック
その始まりは1918年の大晦日にアルトゥール・ニキシュの指揮のゲヴァントハウス管弦楽団の演奏による第九が演奏された。これにより年末の第九がおなじみに。日本では1918年に6月に徳島県鳴門市に設置されたドイツ人捕虜収容所で捕虜であるドイツ兵がアジアで初めて第九を全曲演奏し広まった。その後、1938年に東京・歌舞伎座で世界的指揮者のヨーゼフ・ローゼンシュトックと[…続きを読む]

2024年11月26日放送 19:00 - 21:00 テレビ朝日
プラチナファミリー(オープニング)
徹子さんの父はヴァイオリニスト兼コンサートマスターだったという話をした。またお母様も音楽をやっていたという。

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