新潟水俣病の発生が公式に確認されたのが1969年。医師の関川智子さんは半世紀以上にわたって診察を続ける。自らは医療機関に来ない患者への訪問診断も行ってきた。これまで水俣病と診断した患者は1000人を超えるが、国に認定された人は1割にも満たない。国の基準では当時の暮らしを示す客観的資料が必要なため、認定が難しい。被害の責任と賠償を巡り、国や下人起業を訴える訴訟が行われているが、関川さんは原告全員の主治医として、裁判で証言を続けてきた。関川さんは80歳を超えた頃から体調の悪化を強く感じており、弱音を漏らし始めた。長年治療を受けてきた患者の間に不安が広がっている。関川さんは来月の判決が1つの区切りだと感じている。