昭和16年(1941)12月8日に太平洋戦争勃発。中学生になった義和は学徒動員により鉄工所で働く。そのころ、一人の親友がいたという。親友は戦闘機の設計士になりたいと語る。義和は友人の設計士への夢を応援する。間もなく昭和20年(1945)8月15日に終戦。ある事件が起こった。設計士の夢を持った友人は激しいショックを受けていた。そのときの様子を二人の同級生だった古瀬力雄さんが語る。古瀬さんは親友と親戚でもあった。これでもって自分の一生は終わるんだという思い詰めた気持ちになって、自殺を。亡くなる前の晩は私の所で1泊、その前の晩は佐野さんのところで1泊。その晩に佐野さんの薬剤室に忍び込んで青酸カリを盗むと語った。義和の親友は服毒自殺を図った。古瀬さんは佐野さんは責任を感じたと思うと語る。以来戦争中のことを語ることはなかったという。
終戦から2年。昭和22年(1947)3月義和は東京医科大学に入学。(当時東京医科専門学校)義和の医科大学時代の同級生、百々猛さんは新潟の病院で91歳の今でも現役の医師。講義が始まると一番前に座っていたという義和の印象を語る。一生懸命ノートをとっていた。真面目と語る。当時の医学生には共通の思いがあったという。百々猛さんは「兵隊に行って亡くなった方も友達もある。徴兵延期というものがあったので複雑だった」と語る。「その人たちの分まで一生懸命勉強しなければいけないという気持ちは十分あったと語る。」。その後義和は故郷松江に戻り、赤十字病院で働く。
終戦から2年。昭和22年(1947)3月義和は東京医科大学に入学。(当時東京医科専門学校)義和の医科大学時代の同級生、百々猛さんは新潟の病院で91歳の今でも現役の医師。講義が始まると一番前に座っていたという義和の印象を語る。一生懸命ノートをとっていた。真面目と語る。当時の医学生には共通の思いがあったという。百々猛さんは「兵隊に行って亡くなった方も友達もある。徴兵延期というものがあったので複雑だった」と語る。「その人たちの分まで一生懸命勉強しなければいけないという気持ちは十分あったと語る。」。その後義和は故郷松江に戻り、赤十字病院で働く。
