9月、彬子さまは宇都宮市で行われた式典に出席。そのあと、護衛に囲まれながら地域の実情を視察。皇族は戸籍がないなど一般国民とは法的立場が異なる。彬子さまは大正天皇のひ孫として昭和56年に誕生。現在は多くの団体で総裁などの役職に就かれているが、普段の日常が表に出ることはほとんどない。
9月、彬子さまは自身が中心となって続けられている米作りのワークショップ活動のため新潟へ。心遊舎という団体を立ち上げ、次の世代に日本文化を体験する機会を提供されている。今回は東京の大学生とともに稲刈り作業など体験。彬子さまは、常々「皇室というのは国民の中に入って国民の求めることをするものである」など話しているんだそう。
彬子さまの父は12年前に逝去した寛仁親王。この日、自ら創設した団体が主催する稲刈り体験活動に参加。あとの昼食会にも参加し、住民らと交流。日本文化は好きかという質問に、海外での経験を通じて「日本の代表として見られること」を意識するようになったことを明かした。こうした活動を12年にわたって続けられていることには、父や祖父らが自ら団体を創設して行ってきた活動の影響もあるんだそう。
英オックスフォード大学に6年間留学した彬子さま。日本ではできなかったことを気兼ねなく楽しめたそうで、著書には「自分の時間を自分のためだけに使えた」「本当に贅沢な時間であった」などと記している。現在は日本美術に関する研究をしていて、女性皇族として初めて博士号を取得。今も「彬子女王」の署名で論文を書き続けている。自らの意思で博士号に挑戦することを選んだのは、留学先で論文について厳しい指摘を受けるなどした経験から。
現在でも次の世代に文化を伝えられる活動などしている彬子さま。皇族として生きることについて、番組の取材に対して「皇族に生まれて嫌な思いをしたこともたくさんあるが、皇族だからこそ出来たことのほうが多い」と明かしたうえ、「この立場をいただいたことを最大限に活かして世の中に還元していけたら」「求めていただけることが何よりもありがたいこと それに最大限お返ししたい」など話した。
9月、彬子さまは自身が中心となって続けられている米作りのワークショップ活動のため新潟へ。心遊舎という団体を立ち上げ、次の世代に日本文化を体験する機会を提供されている。今回は東京の大学生とともに稲刈り作業など体験。彬子さまは、常々「皇室というのは国民の中に入って国民の求めることをするものである」など話しているんだそう。
彬子さまの父は12年前に逝去した寛仁親王。この日、自ら創設した団体が主催する稲刈り体験活動に参加。あとの昼食会にも参加し、住民らと交流。日本文化は好きかという質問に、海外での経験を通じて「日本の代表として見られること」を意識するようになったことを明かした。こうした活動を12年にわたって続けられていることには、父や祖父らが自ら団体を創設して行ってきた活動の影響もあるんだそう。
英オックスフォード大学に6年間留学した彬子さま。日本ではできなかったことを気兼ねなく楽しめたそうで、著書には「自分の時間を自分のためだけに使えた」「本当に贅沢な時間であった」などと記している。現在は日本美術に関する研究をしていて、女性皇族として初めて博士号を取得。今も「彬子女王」の署名で論文を書き続けている。自らの意思で博士号に挑戦することを選んだのは、留学先で論文について厳しい指摘を受けるなどした経験から。
現在でも次の世代に文化を伝えられる活動などしている彬子さま。皇族として生きることについて、番組の取材に対して「皇族に生まれて嫌な思いをしたこともたくさんあるが、皇族だからこそ出来たことのほうが多い」と明かしたうえ、「この立場をいただいたことを最大限に活かして世の中に還元していけたら」「求めていただけることが何よりもありがたいこと それに最大限お返ししたい」など話した。