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「日米安全保障条約」 のテレビ露出情報

月丘夢路さんは当時松竹の専属女優だったが、スターというのは何らかの形で社会に還元しなければならないという考えを持っていた時に、映画「ひろしま」の話を聞きどうしても出演したいと思われたという。映画「ひろしま」の制作のきっかけとなったのは、1951年に出版された「原爆の子~広島の少年少女のうったえ」という本。広島大学の教授で自らも被爆した長田新さんが、広島で被爆した少年少女らの手記を編集したもの。当時、「原爆の子」をもとに2本の映画が作られた。1つは1952年公開の「原爆の子」で近代映画協会が製作し、内容は被爆者のその後が主な内容。もう一つは1953年の「ひろしま」で日教組が製作。内容は、いかにしてあの日を再現するかということを重要視していた。正確に再現するため、数多くの広島市民らが製作に携わっている。広島県内24か所でロケが行われ、8万8000人の広島市民らがエキストラ出演している。中高生や教職員らが手弁当で参加したということで、中には原爆を経験した人もいたという。さらに、戦時中の服装や防毒マスクなど衣装や小道具を住民から用意してもらい、全国の教職員が30円ずつカンパを募り、2400万円(現在の約1億円)を製作費にあてられたという。映画「ひろしま」は幻の映画と言われるようになる。なぜなら、1953年9月の中国新聞には「映画「ひろしま」の配給拒否旋風」といった見出しの記事が乗っていた。協力的だった大手配給会社が配給を拒否したという。理由は、内容が反米的だからだという。問題となったシーンは、高校生が「日本人が新兵器のモルモット実験に使われた」などといった本の一節を読み上げていることについて、配給会社はカットを要求したが製作側は受け入れず自主配給することを決定した。配給会社が問題視した背景に、1951年9月にサンフランシスコ平和条約に日本が調印し、同日に日米安全保障条約も結ばれたためだという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年6月3日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀バタフライエフェクト)
1951年9月に日本はサンフランシスコ講和会議で条約に署名し、その後は日米安全保障条約に署名した。安保条約は不平等条約だったこともあり、砂川闘争や安保闘争につながっていった。そうしたこともあり当時の首相の岸信介は日米安全保障条約の改定を目指した。ただ唐牛健太郎が率いる全学連が安保改定に反対の立場を示した。そこで羽田空港を占拠するという事件を起こした。しかし1[…続きを読む]

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