神戸市立王子動物園で飼育されていたジャイアントパンダのタンタン。飼育員は梅元さんと吉田さんの2人。梅元さんがタンタンによく話しかけるのは、パンダは耳が良く優しく語りかけることで安心するから。食べ物がほしいときのアピールなども分かるという。吉田さんはツボを心得たブラッシングが得意。
神戸市立王子動物園で飼育されていたジャイアントパンダのタンタン。来日のきっかけになったのは95年の阪神・淡路大震災。当時王子動物園には遺体安置所が設けられていた。市民らを励ますため中国から2頭のパンダが来ることが決まり00年に到着。世話を担ったのはベテランの兼光さんら。名前は市民からの公募で決定。市民に愛される存在になった。
神戸市立王子動物園で飼育されていたジャイアントパンダのタンタン。園としては赤ちゃんを誕生させることが使命だったが、2頭は相性が悪くなかなか繁殖に至らなかった。来日8年後の08年、新たに飼育員になったのは当時26歳の梅元さん。幼い頃から王子動物園に通っていたこともあり、配属が決まり「今度は僕が子どもたちを笑顔にする」と決意した。同年、初めて赤ちゃんが誕生。ただ、パンダの赤ちゃんは母体で十分成熟しないまま生まれるため死亡率が高い。結果、生まれてから4日で死亡。
神戸市立王子動物園で飼育されていたジャイアントパンダのタンタン。初めて生まれた赤ちゃんが死んでから2年後、一緒に来日したオスのコウコウが急死した。出産シーズンの夏、タンタンはたけのこを抱きかかえるなど「偽育児」と呼ばれる行動を始めた。子どもを育てている気持ちになり食事量も極端に減少。新たに担当することになった飼育員の吉田さんは元神戸市職員で公園・緑地の造園を担当。その経験からタンタンの好みの竹を探しピンチを救った。
神戸市立王子動物園で飼育されていたジャイアントパンダのタンタン。2人の飼育員に支えられパンダの高齢期とされる20歳を超えた。24歳を過ぎた頃、コロナ禍が落ち着いたら中国に返還されることが決まった。コロナ禍のころ、飼育員らはSNSでタンタンの様子を配信。返還前最後の誕生日は2人でバースデーケーキを手作り。装飾はタンタンが大好きなぶどうとリンゴ。
神戸市立王子動物園で飼育されていたジャイアントパンダのタンタン。24歳を過ぎた頃、コロナ禍が落ち着いたら中国に返還されることが決まった。返還前最後の誕生日、飼育員の吉田さんはタンタンが好みそうなたけのこをプレゼントした。「いつかタンタンに食べてほしい」と植えたのは3年前。
神戸市立王子動物園で飼育されていたジャイアントパンダのタンタン。来日のきっかけになったのは95年の阪神・淡路大震災。当時王子動物園には遺体安置所が設けられていた。市民らを励ますため中国から2頭のパンダが来ることが決まり00年に到着。世話を担ったのはベテランの兼光さんら。名前は市民からの公募で決定。市民に愛される存在になった。
神戸市立王子動物園で飼育されていたジャイアントパンダのタンタン。園としては赤ちゃんを誕生させることが使命だったが、2頭は相性が悪くなかなか繁殖に至らなかった。来日8年後の08年、新たに飼育員になったのは当時26歳の梅元さん。幼い頃から王子動物園に通っていたこともあり、配属が決まり「今度は僕が子どもたちを笑顔にする」と決意した。同年、初めて赤ちゃんが誕生。ただ、パンダの赤ちゃんは母体で十分成熟しないまま生まれるため死亡率が高い。結果、生まれてから4日で死亡。
神戸市立王子動物園で飼育されていたジャイアントパンダのタンタン。初めて生まれた赤ちゃんが死んでから2年後、一緒に来日したオスのコウコウが急死した。出産シーズンの夏、タンタンはたけのこを抱きかかえるなど「偽育児」と呼ばれる行動を始めた。子どもを育てている気持ちになり食事量も極端に減少。新たに担当することになった飼育員の吉田さんは元神戸市職員で公園・緑地の造園を担当。その経験からタンタンの好みの竹を探しピンチを救った。
神戸市立王子動物園で飼育されていたジャイアントパンダのタンタン。2人の飼育員に支えられパンダの高齢期とされる20歳を超えた。24歳を過ぎた頃、コロナ禍が落ち着いたら中国に返還されることが決まった。コロナ禍のころ、飼育員らはSNSでタンタンの様子を配信。返還前最後の誕生日は2人でバースデーケーキを手作り。装飾はタンタンが大好きなぶどうとリンゴ。
神戸市立王子動物園で飼育されていたジャイアントパンダのタンタン。24歳を過ぎた頃、コロナ禍が落ち着いたら中国に返還されることが決まった。返還前最後の誕生日、飼育員の吉田さんはタンタンが好みそうなたけのこをプレゼントした。「いつかタンタンに食べてほしい」と植えたのは3年前。
