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「被服廠跡」 のテレビ露出情報

震災から1週間余が経った頃の田端駅を撮影した映像では、駅へと続く道に大勢の人がひしめき合っていた。政府は下り列車を無料化し、食糧不足で困窮する被災者を東京から地方に送り出していた。田端駅のそばの家に住んでいた芥川龍之介は焼け野原と化した東京を歩いて周った。変わり果てた東京を嘆きながらも、「煙草や梨をすすめ合つたり互に子供の守りをしたりする景色は殆ど至る処に見受けられたものである」「大勢の人人の中にいつにない親しさが湧いているのは兎に角美しい光景だった」などと手記に残している。震災から2週間余が経ち、日比谷公園では被災した子どもたちを集めて青空教室が始まった。上野公園の西郷隆盛像は人探しの張り紙でいっぱいになり、園内の職業紹介所では人々が列を作った。9月23日に使い物にならなくなった浅草凌雲閣が爆破され、多くの見物人が跡地に殺到した。震災から四十九日にあたる10月19日、3万8千人が命を落とした被服廠跡では合同大追悼式が開かれた。関東大震災で東京市の4割が消失し、7割の人が家を失った。死者は10万5千人を超えた。東京大学の地震学者、今村明恒は震災の18年前に大地震が東京を襲うと警告し備えを訴えたが世間に「ホラ吹き」と攻撃された。震災後に今村自らカメラを買い求め撮影した映像では、全国各地を講演してまわった今村の姿が映っている。今村は私財をなげうち全国8か所に観測所を設置した。東京は奇跡を呼ばれる復興を遂げ1930年3月には帝都復興祭も開かれたが、防災対策は不十分なままだった。今村は死の直前まで人々に防災の大切さを訴えた。東京都防災会議の報告書によれば、今後30年以内にマグニチュード7を超える首都直下型地震が起きる確率は70%。

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年9月3日放送 21:00 - 21:50 NHK総合
NHKスペシャル映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間 後編
震災2日目の朝、上野では周辺の火災の勢いは弱まりつつあり人々は安堵の中にいた。カメラマン岩岡巽は震災2日目の上野の様子を映像に収めていた。浅草の火災は前日の夜に勢いを弱めていたが、前日昼間の南風が夜のうちに北風にかわり上野の方に火の手を伸ばしていた。上の駅周辺の線路に避難した人たちを映した映像には、はしごを崖にかけ高台の上野公園によじ登ろうとしている人の姿も[…続きを読む]

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