ニコラスから「劉とはつなぐことができない」と連絡が入った。直談判するために劉のお膝元・上海に出向いた。劉は貧しい家に生まれ、タクシー運転手からキャリアをスタート。上海ガニの養殖を経て株式投資で財を成した。龍のお宝が納められているという美術館がある。この頃、中国では政府が贅沢禁止令を打ち出し、多くの富裕層が目立つことを恐れた。劉はなぜ莫大な富を公開しステータスを誇示する行動を取ったのか。落札した翌年、ニューヨーク・タイムズの取材に対し、「私は紛れもなく”粗野な成金”です。でも少なくともこの国に人々が喜ぶ傑作を持ち帰っています」と強気なコメントをしている。しかし、この美術館では開館時に一度だけ展示したものの今はチキンカップを公開していなかった。