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10年前チキンカップは香港で中国陶磁器として史上最高額38億円で落札された。まずは世紀のオークションを仕掛けた男のもとを訪ねた。老舗オークション会社でアジア地域を統括するニコラス・チョウ。4月に競売にかける目玉商品で推定落札額13億円の乾隆帝の印鑑を見せてくれた。ニコラス自慢のコレクションを見せてもらった。ニコラスが長年追いかけている有名なコレクターがついにコレクションを売り始めたがチキンカップだけはなかなか手放そうとはしなかった。ある日彼から「チキンカップを売ろうと思う。金額を提示してくれ」と連絡が来て長い交渉が続いた。最終的に決まった補償額は26億円で中国美術品の最高額だった。チキンカップのこれまでの最高落札額は4億円。オークションでその6倍以上の値がつかなければ損失を被らなければならない。落札額を跳ね上げる秘策はないか。そんなとき北京の骨董市でチキンカップのフェイクを3つ見つけた。さらに陶磁器の老舗工房では8200円で販売していた。そこで“チキンカップは中国史上最もフェイクが作られた陶磁器”というキャッチコピーを考えた。あとは誰に売るか。浮かんだのは上海の実業家 劉益謙。ニコラスが劉に声を掛けた理由には中国人にとっては忘れることのできない歴史があった。20世紀中国では宮廷に受け継がれてきた至宝が流出し世界に散らばった。現在存在が認められているチキンカップはおよそ20点だがニコラスによると中国本土には本物のチキンカップは存在しないという。オークションは劉にとって中国本土にチキンカップを取り戻す負けられない戦いになる。2014年4月8日正午オークションが始まった。劉のライバルはロンドンの美術商で激しい一騎打ちが続いた。そして出品者に保証した金額を大きく上回る38億円で落札。思惑通り劉は最後までチキンカップを諦めなかった。高額のため24回に分けてサインをする姿は誇らしげ。チキンカップの雄鶏と雌鳥は皇帝と妃を表し小さなヒナは民で皇帝が民の生活を守るという意味があり皇帝の権力の象徴、聖杯のようなものだ。本物のチキンカップを中国本土に取り戻した劉は最強の「ステータス」を手に入れた。チキンカップに触るという無謀な願いを頼むとニコラスは劉に連絡をしてくれると言った。
アンミカ、東野幸治。平野龍一がスタジオトーク。故宮博物院にあるというチキンカップは誰も見て確認してないため“ない”という状況だという。中国の器は紋様に意味があり吉祥文という富の象徴。本物のチキンカップに触ったことがある平野龍一さんは「とてつもなく滑らかで陶器っぽくない。水に包まれている感じ」などと話した。乾隆帝の判子を触ったディレクターは「歴史を感じた。お餅みたいな感じ」と話した。
ニコラスからの返事を待つ中、朗報が入った。本物のチキンカップを直に見られることになった。故宮博物院でチキンカップは一番奥のスペースにひっそりと展示されていた。台湾故宮にはチキンカップが12個もあるという。満州事変以降、蒋介石は北京の宮廷から第一級の文化財を選び運び出した。その宝物は国民党とともに台湾へ。職員の余佩瑾さんもチキンカップを見るのは久しぶりだと話した。チキンカップは独特の柔らかな光を放つ。闘彩という技法。明の第9代皇帝 成化帝が描かせた。繊細で女性的な器は妻の万貴妃のためにつくったともいわれている。清の第6代皇帝 乾隆帝はコレクションのひとつだったチキンカップに専用の収納箱を誂えた。余佩瑾さんにチキンカップに触らせてほしいと頼んだが規則があるので無理だと断られた。
平野龍一さんは戦争中にトップクオリティの美術品だけ選んで台湾へ運び出した、中国のすべての歴史がつまったそれを所有している者が正当な継承者だという考え方がある、ギリシャのパルテノン神殿のレリーフを大英博物館が持っているのを全部返せとか売却したのかしてないのかは100年前だから分からない、美術品はお金を払って買ったら将来にその美術品をつなげる権利を持つだけだと話した。また、清の皇帝たちがチキンカップに魅せられた理由は、清の時代に入り、康煕帝が同じ形で写し、その後雍正帝が同じ形で写して、そして更に乾隆帝が少しアレンジを加えて作ったため、そこに至るまでにチキンカップというのは彼らの中ではかなり大きなステータスシンボルになっていたと話した。
ニコラスから「劉とはつなぐことができない」と連絡が入った。直談判するために劉のお膝元・上海に出向いた。劉は貧しい家に生まれ、タクシー運転手からキャリアをスタート。上海ガニの養殖を経て株式投資で財を成した。龍のお宝が納められているという美術館がある。この頃、中国では政府が贅沢禁止令を打ち出し、多くの富裕層が目立つことを恐れた。劉はなぜ莫大な富を公開しステータスを誇示する行動を取ったのか。落札した翌年、ニューヨーク・タイムズの取材に対し、「私は紛れもなく”粗野な成金”です。でも少なくともこの国に人々が喜ぶ傑作を持ち帰っています」と強気なコメントをしている。しかし、この美術館では開館時に一度だけ展示したものの今はチキンカップを公開していなかった。
数日前から姿が見えなくなり、自身のコレクションの一部を売り始めているという劉さんについて、平野龍一は「現実的に作品を売っているのでお金が必要となっているのは事実」などと話した。中国では100年以上前のものを国外に持ち出すことができない。そのため、一度国内に歴史的美術品などを入れたら中国国内でしか取り引きができない。
政府主導で新たなチキンカップを生み出そうとする動きがあるという噂を耳にした。一路南へ。600年前、チキンカップを生み出した景徳鎮。どこを見ても陶磁器の店ばかり。もちろん、チキンカップの知名度は高い。骨董市では鑑定士がチキンカップと同じ皇帝の窯で焼かれた陶磁器の破片を探していた。そして、政府主導で新たなチキンカップを生み出している現場へ。迎えてくれたのは責任者の翁。ここには世界初の陶器の成分を調べる遺伝子バンクがあるといい、2000万枚近くの破片が保存されているという。
平野龍一いわく、美術的に一番価値があるのは素材が良いだけではなく市場に出てくる回数やいろんな人が環境を整えるなどの条件の重なりがあってのものだという。
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- 北宋 汝窯天青釉洗
エンディング映像。
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