富弘美術館の展示室には寄せ書きが描かれた帽子が展示されていた。これは星野が文字を書くきっかけになったもので、入院時に同室だった中学生の高久くんが転院する日のこと。文字を書いて彼を励ましてほしいとお願いされ、星野も彼を励ましたいと言葉をのせたが、母に口にサインペンをくわえさせて書いたという。そこから文字が書きたいと感じた星野はスケッチブックに口で線を書く練習を始めた。最初の文字はカタカナの「ア」だった。黒い糸くずのような文字が増えていき、ようやく手紙もかけるように。1枚を描くのに一ヶ月かかった。それに花の絵を添えるようになり、サインペンとカラーマーカーで病室がアトリエとなった。星野富弘は絵の勉強をしたことも、詩を描いたこともなかったが、献身的に支えたのは母。
