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「昭和40年不況」 のテレビ露出情報

篠原さんは「戦後すぐの日本は国債発行は原則禁止とされていた。これは戦争のために『戦時国債』を乱発したことで終戦直後にハイパーインフレが起こり国民生活が大混乱した反省から安易に国債を発行すると国を誤るという戒めがあったから。国債は将来の資産として残る事業のための『建設国債』と日々の社会保障や人件費の穴埋めの『赤字国債』の2種類ある。建設国債は原則禁止のなかで1回目の東京オリンピック後の1965年の『昭和40年不況』のなかで佐藤栄作政権が建設国債を初めて発行した。家計で例えると『住宅ローン』という理屈で解禁した。1970年代のオイルショック後、税収が激減し、三木武雄政権は建設国債発行から10年後の1975年に赤字国債を解禁した。このとき大蔵大臣として赤字国債発行の苦渋の決断をしたのが大平正芳さんで、周辺に「万死に値する異常事態だ」と語ったと言われている。1978年に総理になった大平氏は自ら解禁した赤字国債の穴を塞ぐべきだという責任感から『一般消費税』構想を提案した。その後1990年代のバブル崩壊を受けて歴代政権は不況を打破しようと巨額の減税や公共事業を連発し、国債残高が急ピッチに積み上がっていく。ここに危機感を抱いた橋本龍太郎政権は1997年に『財政構造改革法』という法律を作り、2003年度までに赤字国債をゼロにすると法律で目標を定め歯止めをかけようとした。その直後に山一證券の破綻など金融危機が重なり超大型不況になりこの法律は凍結されてしまう。跡を継いだ小渕恵三政権は巨額の景気対策に踏み切り、小渕総理自ら『私は世界一の借金王になった』と語るほど超積極財政に舵を切った。この状況を打開すべき2000年代に構造改革に乗り出したのが小泉純一郎政権。赤字は増やさないというPB黒字化目標をどう達成するかで当時政権内で激しい路線対決が起こった。このときの上げ潮派の系統を強く引き継いで実行するのが2012年からの『アベノミクス』。日銀が市場の国債を片っ端から買い上げて長期金利を抑え込み巨大な債務の負担感を強力な麻酔で打ち消しながら経済成長を目指した。いま高市政権はこの流れを受け継いでいる。高市政権はPB黒字化の目標の優先度を下げ、軸足を債務残高対GDP比の安定的な低下というものにシフトさせている。日銀は金融政策を正常化させ、金利のある世界に戻りつつあるので麻酔が切れて過去の巨大な債務の利払い負担が重くのしかかり始めている。その試練がリアルタイムで起きているのが国債市場。今月あたまに行われた10年物国債入札では不調に終わった。きのうは長期金利が2.930%と30年ぶりの水準に上昇し3%目前になっている。これまで日本国債は9割以上国内の銀行や個人が持っていて安心だと言われていたが、近年は外国人投資家などの保有が増えている。海外投資家が日本の財政に懸念を持てば金利を跳ね上げさせる要因になる。なのでいま政治の場で国内の安定的な引受手を増やそうと個人国債の魅力を増やす議論が行われている。」などと解説した。

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