きみまろさんは歌謡ショーの司会者になり、森進一さんの専属視界として10年活動した。森さんにはハワイやロサンゼルス、サンフランシスコの公演に連れて行ってもらい、そこで親友の有川裕雄さんに出会った。現在の芸名はキャバレーで漫談をするときにポール牧さんからもらった。司会者の収入は当時のサラリーマンよりちょっと上だった。漫談家になろうと思ったきっかけは、司会をする中で自分を紹介してくれる人がいなかったから。母は9年前に亡くなったが、父はきみまろさんの晴れ舞台を見る前に亡くなった。下積み時代はなかなか家に帰らず、当時は両親と手紙のやり取りをしていた。