1931年に発生した満州事変。磯崎はその年に大分に生まれた。中学の頃に故郷の大分は空襲に見舞われ、その悲劇を前に、都市は消えて焼土だけがあったなどと胸中を綴っている。やがて建築家を志し東京大学に進学。丹下健三の研究室に。迎えた1970年の大阪万博では異本の高度成長を謳い上げる国家的大イベントに。磯崎は師である丹下が手掛けたお祭り広場の設計へ。しかし開会式当日には極度のストレスで倒れてしまった。建築は大義のためだけに利用されるだけなのか?それが悲劇を繰り返すことにつながると、磯崎は建築を過去から引き離し、0から作ることを考えた。エントランスホールには正面に重厚な大理石で作られた不思議な光景。
