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「東レ 滋賀事業場」 のテレビ露出情報

次の世代にどうつないでいくか。広島、長崎に原爆が投下される前、アメリカ軍は模擬原爆(通称:パンプキン)を投下していた。日本各地が原爆投下の訓練所となっていた実態。7月26日は忘れられない日。80年前、大阪市内で模擬原爆の被害に遭った87歳の女性に話を聞く。模擬原爆(通称:パンプキン)は長崎に落とされた原爆のファットマンによく似ているが、中身は核物質ではなく、大量の爆薬。広島、長崎の原爆投下訓練用に製造されていた。パンプキン投下後の写真を紹介(提供:朝日新聞社)。その様子を描いた絵には強烈な爆風と立ち上る煙、地面には大きな穴が開いている(提供:ピースおおさか)。7人が死亡、73人がけがをした。ずんぐりとした形の原子爆弾は落下の軌道の不安定さが懸念されていたため、訓練が必要だった。アメリカ軍は終戦の年の7月20日から8月14日まで18都府県に49発のパンプキンを投下し、約400人が犠牲になった。日本各地が訓練場になっていた。一発が投下された滋賀・大津市の歴史博物館には実物大の模型がある。広島に原爆が投下される約2週間前の1945年7月24日、煙が上がっていた場所には今も同じ工場がある。当時の被害を警察や軍に報告した資料が残っている。東レ滋賀事業場・清水雄ニ事業場長は「元々は繊維工場だったが、当時は海軍から軍事関係の兵器を生産することを指示されていたのでこの場所が狙われた1つの要因だったのかもしれない」とコメント。この爆撃で16人が亡くなった。模擬原爆(通称:パンプキン)の存在は長く歴史の中に埋もれていたが、1991年、ある市民の気づきによって存在が明らかになった。
住所: 滋賀県大津市園山1-1-1

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