- 出演者
- 林マオ 小澤征悦 橋本雅之 高岡達之 足立夏保 吉積夏帆
原爆投下直後の長崎では若き看護学生たちが負傷した人々を救おうと奔走した。長崎原爆投下から今日で80年。平和への祈りを長崎から伝える。
オープニング映像から出演者らの挨拶。
本日のラインナップ一覧。長崎 池上彰さんと考える「被爆80年」、盆休み 最大9連休!最新の交通状況を中継、考論 石破首相 戦後80年 “談話”どうすべき?元外交官&政治学者が生出演!
長崎国際テレビと生中継。今年の平和記念式典にはロシアやイスラエルを含む94の国と地域が参列したが、中国とウクライナは不参加だった。また新たに確認された原爆死没者3167人の名簿が奉安され、合計死者数は20万1942人となった。池上彰さんは被爆80年に考えるべきことについて「被爆者の高齢化が進んでいて、話を直接聞くことが出来なくなっている。被爆者の記憶、思いをどう継承するのかを考える1日だと思う」と話した。
次の世代にどうつないでいくか。広島、長崎に原爆が投下される前、アメリカ軍は模擬原爆(通称:パンプキン)を投下していた。日本各地が原爆投下の訓練所となっていた実態。7月26日は忘れられない日。80年前、大阪市内で模擬原爆の被害に遭った87歳の女性に話を聞く。模擬原爆(通称:パンプキン)は長崎に落とされた原爆のファットマンによく似ているが、中身は核物質ではなく、大量の爆薬。広島、長崎の原爆投下訓練用に製造されていた。パンプキン投下後の写真を紹介(提供:朝日新聞社)。その様子を描いた絵には強烈な爆風と立ち上る煙、地面には大きな穴が開いている(提供:ピースおおさか)。7人が死亡、73人がけがをした。ずんぐりとした形の原子爆弾は落下の軌道の不安定さが懸念されていたため、訓練が必要だった。アメリカ軍は終戦の年の7月20日から8月14日まで18都府県に49発のパンプキンを投下し、約400人が犠牲になった。日本各地が訓練場になっていた。一発が投下された滋賀・大津市の歴史博物館には実物大の模型がある。広島に原爆が投下される約2週間前の1945年7月24日、煙が上がっていた場所には今も同じ工場がある。当時の被害を警察や軍に報告した資料が残っている。東レ滋賀事業場・清水雄ニ事業場長は「元々は繊維工場だったが、当時は海軍から軍事関係の兵器を生産することを指示されていたのでこの場所が狙われた1つの要因だったのかもしれない」とコメント。この爆撃で16人が亡くなった。模擬原爆(通称:パンプキン)の存在は長く歴史の中に埋もれていたが、1991年、ある市民の気づきによって存在が明らかになった。
原爆投下の訓練のため、全国各地に落とされた模擬原爆(通称:パンプキン)。愛知県では8発が落とされた。春日井の戦争を記録する会・金子力代表はパンプキンの存在を突き止めた1人で、その発見は偶然だったと話す。疑問に思った金子さんはアメリカ軍の資料を調べていった。原爆を投下する特別部隊の活動日程などが記載された出撃表と地図には爆弾が落とされた地名と二重の枠で囲まれた広島と長崎の文字。各地に投下されたパンプキンは未だに着弾地点が不明な場所もあり、神戸大学大学院・西岡孔貴さんは全容解明に力を注いでいる。兵庫・神戸市、徳島、福島・いわき市の3発は着弾地点の記録がなく、西岡さんは兵庫・神戸市の一発を研究している。原爆に紐づく被害は広島、長崎だけではないことを知ったため。現地調査も行っている。戦後の航空写真などをヒントに神戸市内の山を調べたところ、複数の金属片を発見。成分分析の結果は通常の爆弾。着弾地点の特定は容易ではない。文献、新聞などあらゆる資料に目を通す。空襲の証言や記事野中にパンプキンの情報が埋もれていないか、爆撃機の動きなどの情報を地道に拾っていく。その積み重ねが着弾地点の特定につながると考えている。80年前、パンプキンの被害を目の当たりにした87歳の女性は「実験みたいなものを自分の住んでいる近くで落とされたことが本当に腹立たしい」とコメント。
長崎に原爆が投下された後の8月14日にも模擬原爆(通称:パンプキン)が落とされていた。訓練のために400人が命を落としたという事実を認識したうえで、戦争の記憶を継承していかなければいけない。全国の被爆者の人数は10万人を初めて下回った。リディラバ代表・安部敏樹は「実際の声を聞ける機会が減ってきている、次の世代にどういう形だったら忘れられないでいけるのかをきちんと考えないと忘却していってしまう」とスタジオコメント。長崎国際テレビから中継。池上彰は「模擬原爆以外に通常の原爆も大量に8月14日に全国に落とされている。原爆、戦争についてのさまざまな記録もまだまだはっきりしていないところがたくさんある」とコメント。去年、日本被団協がノーベル平和賞を受賞したことによって核なき世界の実現に向けて大きな踏ん張りどころだと話している被爆者も多くいる。
アメリカ・トランプ大統領は8日、自身のSNSのへの投稿でロシア・プーチン大統領と15日にアラスカ州で会談すると明らかにした。これに先立ち、トランプ大統領はロシアが占領しているウクライナ領土がロシアに引き渡される可能性に言及。アメリカ・ブルームバーグ通信は米ロで検討されている合意案ではウクライナの東部ドンバス地方と南部クリミア半島をロシアに割譲する内容が含まれる見通しだと伝えているが、合意の条件や計画は変更される可能性があるとしている。
アメリカ・トランプ大統領とロシア・プーチン大統領の会談はアラスカ州で行われることが合意された。アラスカはロシアから一番近いアメリカとの言い方もできる。アラスカはアメリカ本土を守る、ロシアからICBMが撃たれた時に迎撃するミサイルの一大拠点。世界79か国でプーチン大統領は指名手配されているため、アメリカは受け入れるというイメージになる。ゼレンスキー大統領を急遽参加させるためにもアメリカのエリアでやることが大事。
きのう、鹿児島県霧島市に大雨特別警報が発表され、各地で氾濫や土砂崩れなどの被害が発生した。現場から中継。今も大雨警報が発令されている。穏やかな港町の福山町は川が氾濫し、大きな被害が出ている。霧島市ではきのうにかけて24時間雨量が500mm超と平年の8月1か月分の倍近くの雨が降った。現在も霧島市の職員が現地調査を行っている。川の上流の方ではどれぐらいの被害が広がっているのか全容はまだまだ把握できていない。
きのう、鹿児島県に広く大きな被害をもたらした大雨。きのう午前5時ごろ、大雨特別警報が出され た鹿児島・霧島市。気象庁は午前1時過ぎと午前5時前に鹿児島県で線状降水帯が発生したと発表。きのう、霧島市では一時、警戒レベル5「緊急安全確保」が出され、24時間で500mmを超える記録的な大雨を観測。大雨の影響で断水が起きた鹿児島・姶良市では給水所が設けられた。計3万5000戸余りで断水が続いていて、復旧は早くてもあさって以降の見通し。姶良市で住宅の裏山が崩れ、土砂に押しつぶされて倒壊した家屋では住人4人のうち、30代女性1人と連絡が取れていない。霧島市ではけさ、住民たちは復旧作業に追われている。大雨で付近の川があふれ、住宅街が一面浸水。ひどい所で2mの高さにまで至った。この後も前線が九州付近に停滞し続ける影響で、あさってにかけ九州の広い範囲で大雨が続く見込みで、土砂災害などに厳重な警戒が必要。
今後の天気について気象予報士・吉積夏帆が解説。線状降水帯予測情報(きょう夜ごろ~あす夜のはじめごろ):山口県、福岡県、佐賀県、長崎県。台風11号情報。
鹿児島・霧島市から中継。川が氾濫して橋が崩落。霧島市内では広い範囲で今も断水が続いていて、復旧のめどは全く立っていない。市内8か所に臨時の給水所が設けられている。
今年のお盆は一般的には13日から16日だが、12日に休みを取ることができれば最大9連休となる。羽田空港から中継。羽田空港の混雑のピークは日本航空、全日空ともに国内線(下り)、国際線(出国)はきょう、国内線(上り)、国際線(帰国)は16日、17日。自動チェックウイン機、大型の荷物を預けるゲートの利用、分散で混雑の緩和につながっている。長崎行きの便はk身なりの影響で着陸できないおそれがあり、羽田に折り返す可能性もある。
群馬・伊勢崎市では火曜日に観測史上最高の41.8℃、関東では過去最高となる14地点で40℃以上を観測。東山動植物園(名古屋市)では歴史的な暑さの中、さまざまな工夫が行われている。最大9連休のお盆休みに開催されるのはナイトZOO。東山動植物園広報担当・前田隼大さんは「比較的涼しい夜の動物園で普段とは様子の違う動物たちを楽しんでもらいたい」とコメント。ポイントは暑さを避けてレジャーを楽しむ。今、話題になっているのは涼しい場所で休暇を過ごすクールケーション。先月の平均気温が20.4℃だった北海道釧路市は日本屈指の避暑地。涼しさをアピールため、商工会議所が公開した「CoolStay釧路」を紹介。夏の長期滞在社は昨年度、過去最多で10年間で6倍以上。ほとんどが60歳以上で、若い世代にも来てもらいたいと若い世代に人気の80年代ポップス調の動画を作った。釧路商工会議所地域開発委員会・杉村荘平委員長は「20~30代が夏は涼しい所で過ごすことがかっこいいみたいな風潮に持っていきたい」とコメント。
観光や帰省で多くの人が移動するこの時期。気になるのは高速道路での渋滞。渋滞をどう乗り切っているのかドライバーに聞いた。お盆休みの道路事情についてNEXCお中日本川崎道路管制センターを取材。高速道路のあらゆる情報を24時間、毎日収集し、道路と気象状況の把握や情報発信を行っている。高速道路ドライブアドバイザー・中堀千嘉子さんに渋滞の発生メカニズムについて話を聞く。ブレーキを踏む車が連なることで渋滞の発生につながる。渋滞の原因の半数以上は下り坂から上り坂。最大9連休の渋滞予測。8日夜から下り線の渋滞が始まり、9日をピークに10日まで混んでいる。上り線のピークは11日、16日。下りではきょう、中央自動車道相模湖IC付近を先頭に最大45kmの渋滞が予測されている。
クールケーションについてスタジオトーク。渋滞回避の豆知識を紹介。赤い三角マークは渋滞が伸びていくことを示しているもので、高速道路ドライブアドバイザーによるとルート変更などの参考にしてほしい。
東京駅、中央道八王子IC付近の今の様子を背景に最新の交通情報を伝える。JR買う車によると新幹線の混雑のピークは下りはきょう、上りは16日、17日。東京駅を出発する東海道山陽新幹線のぞみはきょうの午後は空席あり、あすの午前は空席少ない、午後は空席あり。日本道路交通情報センターによると高速道路の渋滞(下り)は東名・海老名SA21km、中央道・相模湖IC12km、関越道・坂戸西スマートIC9.5km。
きのう行われた自民党の両院議員総会。石破総理は選挙の大敗を陳謝した上で続投に意欲を示したが、出席した議員からは石破総理の辞任や総裁選の前倒しを求める声が相次ぎ、今後、議論を総裁選挙管理委員会で議論されることが決まった。自民党参院議員「日本の尊厳と国益を護る会」・青山繁晴代表は総裁の辞任、石破総理による戦後80年の見解発出に反対する要望書を提出。自民党の議員75人が賛同した。自民党内で火種となっている戦後80年の首相見解。これまでも10年ごとの節目に先の戦争に関する談話が発表されてきたが、社会的な注目を浴びるきっかけとなったのは1993年河野談話。当時の河野洋平官房長官が従軍慰安婦問題について旧日本軍の関与と強制性を認めて謝罪。これ以降、時の総理の談話に込められた歴史認識が特にアジアなどから関心を集めるようになった。戦後50年談話(1995年)には当時の村山総理が談話を発表。それまで侵略行為などと曖昧な表現を使ってきたが、当時の村山総理は植民地支配、侵略を明確に認めた。戦後60年(2005年)、当時の小泉総理も村山談話を踏襲。当時、小泉総理が靖国神社を参拝するたびに中国や韓国で歴史認識問題が再燃、抗議デモが行われた。大きな転換点となったのは戦後70年談話(2015年)。当時の安倍総理は村山談話で示された反省とお詫びを踏まえつつ、侵略の表現については日本を主語としなかった。狙いについて回顧録で「まず村山談話の誤りを正すこと。村山談話は日本だけが植民地支配をしたかのごとく書かれている」と記している。70年談話の舞台裏を稲田朋美議員に聞いた。石破総理による80年見解発出に反対の立場。自民党・佐藤勉議員は発出に賛成。
石破総理は戦後談話をどうすべきかを考える。法政大学大学院・白鳥浩教授(日本政治法律学会理事長)、元外交官・宮家邦彦(安倍政権の70年談話有識者懇談会のメンバー)を紹介。これまでの戦後談話は時の首相が歴史認識などをまとめ、閣議決定を行って国の内外に発信するもの。石破総理は談話に関しては見送る方向で調整しているが、見解を出すことに意欲を示している。石破総理の根底にある思いは2人の父(父・石破二朗氏、政治の父・田中角栄元総理)の言葉を引用。なぜ戦争に至ったのか、途中でやめられなかったのか今を逃して戦争の検証はできないとしている。