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「東京藝術大学」 のテレビ露出情報

大正10年、日本はつかの間の平和の中にあった。時代は大正デモクラシー。学校制度が整えられ子どもたちの就学率も上がっていた。そんな中、東京音楽学校、後の東京藝術大学を卒業したばかりの若き音楽教師がいた。小林宗作28歳。音楽の楽しさを伝えたいと意気込んでいた。自らオルガンを弾く小林は子どもに人気の先生だった。しかし心の奥にある葛藤を抱えていた。当時多くの学校で徹底していたのは一斉教授の模倣。図画の授業は好きなものを描くのではなく、見本を正確に写し取らせる。作文も大人が書いた手本を書き写して教え込む。そして音楽。大人が教えたい道徳的な内容を盛り込んだ唱歌ばかりだった。小林はいらだちを込めてつづっている。「こんな心持ちが子ども心のどこにあるか。心にもないことを歌わされている子どもがかわいそうでならない」。小さい時の無邪気な歌声が年が上がるにつれ消えていく。音楽教師としての自分に限界を感じた小林は30歳で教師を辞めた。
新たな教育を探し当てもなくヨーロッパへ向かった小林にある出会いがあった。その様子を聞いた人物が小林の娘、本間みさをだった。出会ったのは国際連盟事務次長を務める新渡戸稲造。当時話題になっていた学校を紹介してくれた。その学校はパリにあった。感性の豊かな音楽家を育てるために考案された「リトミック」という方法が実践されていた。大事にされていたのは自分の中に流れるリズムに逆らわないこと。日本の教育との違いに驚いた小林はここで学ぶことを決意。小林の孫の家にはパリで研究に打ち込んだ時の資料が残っている。言葉も通じぬ異国の地で1年間、小林にある思いが芽生えた。教師の役目は子どもの好奇心をくすぐり自らのリズムで学べる環境をつくることなのではないか。小林はもう一度教壇に立ちたいと思った。昭和12年4月、小林の考えに賛同した人々の支援を得てトモエ学園が開校。くしくもその年、日本は日中戦争へと突き進んでいく。教室には子どもたちがワクワクするようにと使わなくなった電車の車両を持ち込んだ。この新しい学校にはさまざまな事情のある子が入学してきた。高橋彰は体の成長が止まってしまう病気だった。いつも小さな身体を気にしていた。桂るり子は祖父がフランス人だったので差別を受けていた。黒小柳子は活発過ぎる言動が、他の子の迷惑だと小学校を1年生で退学になった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月30日放送 15:05 - 16:35 NHK総合
美の壺美の壺スペシャル 皇居
戦争で焼失した皇居・宮殿は高度経済成長期に再建が始まった。設計では”君主”から”象徴”へと変わった天皇像への対応が課題となった。設計を担当した吉村順三は明治宮殿で採用されていた書院造ではなく寝殿造を採用。寝殿造の持つ装飾が少なくて水平に伸びやかに広がる空間を抽出して取り入れた。また皇居を建てる際、新年一般参賀などで多くの国民が集まる東庭を作るために建物を南向[…続きを読む]

2025年8月24日放送 12:54 - 15:05 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団(開運!なんでも鑑定団)
イラストレーターの生頼範義は1935年に兵庫県・明石市に生まれ、高校卒業後に東京藝術大学・絵画科に入学した。学生時代は人物デッサンに注力したがこれ以上教わることがないと悟り3年で中退し、アルバイトをしながら作品を作り続けた。25歳の時に銀座で初めて個展を開き、1962年には結婚を機にイラストレーターとして活動を始めた。1966年に手掛けた吉川英治全集の新聞広[…続きを読む]

2025年8月23日放送 18:30 - 20:54 テレビ東京
音楽のプロ100人がガチ審査!いま本当に似てる歌まねランキング(音楽のプロ100人がガチ審査!いま本当に似てる歌まねランキング)
女性10位はしおたん。東京藝大声楽家を卒業し、日テレ歌唱王で優勝した。ものまね番組初出演となる今回は岩崎宏美の歌まねで「聖母たちのララバイ」を披露する。米良美一は、岩崎宏美と同じ波動を感じたと話した。

2025年8月23日放送 0:33 - 1:21 NHK総合
新プロジェクトX〜挑戦者たち〜島に誇りを 〜アートでよみがえった瀬戸内海〜
直島は衰退の一途を辿っていた。高度経済成長期、瀬戸内海沿岸に次々と工場が建ち、美しかった海は死んだ魚で溢れた。島には向上の煙が立ち込め草木が育たず、はげ山と揶揄された。直島で育った奥田俊彦は直島出身だということを隠していた。工場だけでは島に未来はないと感じ、町は福武書店に再建を託した。どうしたら再建できるか社長の福武總一郎は考えた。コレクションしているアート[…続きを読む]

2025年8月9日放送 14:30 - 15:30 テレビ朝日
プラチナファミリー(プラチナファミリー 傑作選)
幼少期に落書きをしていたら父に見つかりやめたらなんでやめるんだ?やめるから落書きだなどと言われた話をした、慶應義塾大学に進学したが画家の夢を追い浪人し東京藝術大学に入学した。弟は作曲家の千住明。
千住明さんにお会いするためにやってきたのが東京都港区。千住さんの創作の原点となっているアトリエをお邪魔した。アトリエ内にはいままでのトロフィーなどが飾ってあった。[…続きを読む]

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