黒鉛の主な減原料は石炭から作られるコークス。コークスを粉砕して固め、成形して高熱で焼いて作る。熱処理で耐熱性・電気伝導性・耐酸性などの特性が向上する。今、半導体を大量生産するために製造装置の大型化が進んでいる。装置の部品である等方性黒鉛も大型化が求められている。大型黒鉛の成形では砕いたコークスをゴム製の容器に入れて金枠に収めて水の中に沈める。水の圧力で360度均等に圧力をかけて成形する技術が大型化を可能にしている。成形した物に電流を流して約3000℃の超高温で2か月かけて焼き固める。顧客のニーズに応じた部品を作るための加工がこのあと行われる。
東洋炭素の創業は1941年。カーボンブラシの製造から始まった。創業者の近藤照久は加工メーカーから脱却することを目指して、ドイツから輸入していた黒鉛を日本で自ら製造しようと挑戦した。1969年、黒鉛化炉を建設、製造から加工までの一貫工程を確立した。1970年代に入って、より均質で安定した性能が得られる黒鉛が求められていた。その需要に応えるため、等方性黒鉛の量産化に挑んだ。等方性黒鉛は全方向から均等な圧力をかけて成型する必要があった。特注品の成形機を導入したが当初は不良品の山だったという。地道に改良を重ねた結果、1974年、世界で初めて等方性黒鉛の量産化に成功した。1980年代に半導体分野で等方性黒鉛が次々に採用された。1986年、初めて海外現地法人をシカゴに設立。今や売り上げの6割が海外というグローバル企業に成長を遂げた。
東洋炭素の創業は1941年。カーボンブラシの製造から始まった。創業者の近藤照久は加工メーカーから脱却することを目指して、ドイツから輸入していた黒鉛を日本で自ら製造しようと挑戦した。1969年、黒鉛化炉を建設、製造から加工までの一貫工程を確立した。1970年代に入って、より均質で安定した性能が得られる黒鉛が求められていた。その需要に応えるため、等方性黒鉛の量産化に挑んだ。等方性黒鉛は全方向から均等な圧力をかけて成型する必要があった。特注品の成形機を導入したが当初は不良品の山だったという。地道に改良を重ねた結果、1974年、世界で初めて等方性黒鉛の量産化に成功した。1980年代に半導体分野で等方性黒鉛が次々に採用された。1986年、初めて海外現地法人をシカゴに設立。今や売り上げの6割が海外というグローバル企業に成長を遂げた。