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オープニング映像。
電車のパンタグラフの電線に接する部分には黒鉛が使われている。黒鉛には電気を通しやすく、なめらかで滑りが良いという特性がある。電線の摩耗を抑えられるため保守管理が楽になったという。黒鉛で作られた製品は多岐に渡って私たちの生活を支えている。今回のガリバーは黒鉛の特性を活かした製品を世に送り出している東洋炭素。
東洋炭素の年商は492億円、従業員数は1736人。国内に12カ所、海外に28カ所拠点を持つグローバル企業。主力製品の「等方性黒鉛」はすべての方向に粒子が均一で、一般的な黒鉛に比べて細かく隙間なく粒子が並んでいる。3000℃の超高温でも安定した性能を発揮する。超高温に強い特性をいかした半導体製造装置の部品や、次世代型原子炉の部品にも使われている。「カーボンブラシ」は電気伝導性となめらかさがいかされていて、家電製品のモーターや風力発電にも利用されている。耐熱性と耐薬品性をいかして黒鉛シートは自動車部品などに使われている。東洋炭素は黒鉛のさまざまな特性をいかした製品を製造している。
黒鉛の主な減原料は石炭から作られるコークス。コークスを粉砕して固め、成形して高熱で焼いて作る。熱処理で耐熱性・電気伝導性・耐酸性などの特性が向上する。今、半導体を大量生産するために製造装置の大型化が進んでいる。装置の部品である等方性黒鉛も大型化が求められている。大型黒鉛の成形では砕いたコークスをゴム製の容器に入れて金枠に収めて水の中に沈める。水の圧力で360度均等に圧力をかけて成形する技術が大型化を可能にしている。成形した物に電流を流して約3000℃の超高温で2か月かけて焼き固める。顧客のニーズに応じた部品を作るための加工がこのあと行われる。
東洋炭素の創業は1941年。カーボンブラシの製造から始まった。創業者の近藤照久は加工メーカーから脱却することを目指して、ドイツから輸入していた黒鉛を日本で自ら製造しようと挑戦した。1969年、黒鉛化炉を建設、製造から加工までの一貫工程を確立した。1970年代に入って、より均質で安定した性能が得られる黒鉛が求められていた。その需要に応えるため、等方性黒鉛の量産化に挑んだ。等方性黒鉛は全方向から均等な圧力をかけて成型する必要があった。特注品の成形機を導入したが当初は不良品の山だったという。地道に改良を重ねた結果、1974年、世界で初めて等方性黒鉛の量産化に成功した。1980年代に半導体分野で等方性黒鉛が次々に採用された。1986年、初めて海外現地法人をシカゴに設立。今や売り上げの6割が海外というグローバル企業に成長を遂げた。
東洋炭素は電気自動車向け最新型半導体製造装置の重要部品を手掛けている。1000℃以上の超高温に耐え、徹底的な異物排除の必要があることから、コーティングされた高純度の黒鉛が使われている。グローバル競争に勝ち抜き、信頼を寄せられる理由の一つが直販体制だ。9割の製品を直接販売している。顧客のニーズに迅速かつ的確に応える。さらに、原子力の先端分野でも東洋炭素の黒鉛が採用されている。高温ガス炉の核燃料が収まる構造材などに等方性黒鉛が使われている。より安全性が高い原子炉として実用化が期待されている。
新しい材料をどんどん出して社会のためになるものをつくることが大事と近藤社長は語った。
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知られざるガリバーの次回予告。