1945年、日本人だけで310万人の犠牲者が出た戦争が終わった。松岡鶴次の日記には原子爆弾が落とされた日のことが書かれていた。当時鶴次は妻などと遠く離れた村に疎開していたが気がかりだったのが軍需工場に動員され、一人広島市に残った千代のことだった。呉市が爆撃され、鶴次が千代の元へ向かい、渋る千代を疎開先に連れて行ったが7月下旬に広島市に戻って8月8日に原爆が投下された。鶴次は現場に向かい千代を探すと無事に娘と父は再会できた。しかし、放射能を浴びた千代は1ヶ月後に体調が急変し息を引き取った。
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