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「桃山百双柳橋水車図屏風」 のテレビ露出情報

大河ドラマで注目される豊臣兄弟ゆかりの茶道具の話題。豊臣兄弟が活躍した時代は戦国武将の間で、茶の湯が大いにもてはやされた。400年以上に渡って茶の湯の伝統を守って来た、京都にある茶道の家元のひとつ、藪内家。ここには、豊臣兄弟ゆかりの茶道具が伝わっている。十四代家元、藪内紹智さん。藪内家を象徴する茶室、燕庵を案内。戦国時代の武将で茶人の古田織部から、初代の藪内剣仲が譲り受けた。藪内剣仲は千利休と兄弟弟子で、藪内流の礎を築いた流祖。剣仲は、秀吉が聚楽第に天皇を招いた際、接待役を任されるほどの優れた茶人。藪内家には、秀吉との親交の深さを物語る品々が残されている。秀吉より拝領した桃山百双柳橋水車図屏風。安土桃山時代に作られた豪華な金屏風。藪内「もともと伏見城か聚楽第のどちらかにあったものではないか」。他にも、足利義政から伝来の唐物胡銅花生銘「姫瓜」。この花生をみようと剣仲のもとに秀吉と利休が訪れた時、利休が庭先の姫瓜を生けたところ、秀吉が褒め称え、その場で姫瓜と名付けた。藪内「私が家元を継承した襲名のお茶事で使わせていただきました」。また、剣仲が奈良で見出した古瀬戸の茶入、銘「八重桜」。これを見た秀吉が「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな」という和歌から、銘を与えた。この茶入と必ず一緒に使う茶碗がある。豊臣秀長より拝領したという高麗茶碗「大和熊川」。藪内「この茶入を秀長公がご覧になって、それだったらと私が使っている茶碗と合わせてお使いになったらいかがですかと申し出があり、こちらにやってきた」。「茶碗の特徴としては茶碗の底に茶だまりがあり、お茶を入れてお茶を練って最後飲み終わった時に、自分の顔が映るくらいのお茶の艶が入ってくるとお点前が上手ということになる。利休は権力に近づき、剣仲は孤高のお茶三昧を通し、お茶を本当に愛していた。秀吉にしたら権力に近づいてこないことが気に入られたのではないか」。大阪では、今月28日、藪内剣仲400回忌記念 藪内燕庵の名宝展を開催。

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