原爆が広島に投下されてからまもなく78年。半世紀以上に渡って核兵器廃絶を訴えてきた被爆者のサーロー節子さん。2017年、国連での演説で、核兵器禁止条約の成立に貢献した。世界は核廃絶への一歩を歩みだしたかのように見えた。ロシアは核兵器の使用をちらつかせている。自衛のためには核兵器が必要だという声が出てきている。サーロー節子さんは現在91歳。治療を受けるために来日。広島に滞在している。核を使用するという威嚇は許されないという。5月には手術を受けている。母校などで被爆の体験を語っている。無差別虐殺の標的とされた広島。何十万人を一瞬にして皆殺しにする悪辣なことがされた。姉と4歳のおいがやけただれ、肉の塊という状態で「水を水を」と求めながら亡くなった。13歳の自分の目の前で起きていたことが忘れられないという。生きたままで焼き殺されてしまった学友・家族を犬死にさせてはいけない。2度と繰り返させない。それを私達が死者に代わって言い続ける必要があるのだと語る。5月には、G7広島サミットが開かれ、サーローさんは、これで日本などが核兵器禁止条約に背を向ける現状が変わるのではないかと期待していた。しかし、核軍縮に関する声明に核兵器禁止条約への言及はなかった。胸がつぶれるような思いがしたとサーローさんは言う。首脳たちに広島で起こったことを理解してほしかったという。希望を感じる出来事もあったという。講演した学校の学生からメッセージを受け取ったという。伝えることをやめてはいけないというメッセージが希望をつないできたという。被爆国に住むわたしたちの責任は大きい。8月7日の平和式典にも出席するというサーローさん。