TVでた蔵トップ>> キーワード

「森岡隆三」 のテレビ露出情報

サッカー日本代表について。宮本会長は「戦力的には史上最強」「選手たちがひとつの方向を向ければ我々が望む結果にもつながる」と話した。日本サッカーが世界に負けていないポイントの1つは、チームのためにみんなで戦えること。これまでも一貫性を持って育成を大事にしてきた。森保監督は選手の意見を尊重して練習に取り入れたり、細かやかな気配りも欠かさない。
NHKはサッカーワールドカップを1978年大会から中継。この大会で開催国アルゼンチンが初優勝。86年メキシコ大会はマラドーナ(アルゼンチン)が活躍し、その名前を連呼するアナウンサーの実況も話題になった。当時幼かった宮本会長はこの大会を見てサッカーに強い憧れを持った。NHKはサッカーが人気ではなかった頃から大会を放送し魅力を伝えてきた。68年メキシコ五輪では釜本邦茂が大会得点王に。
93年5月、日本でJリーグが開幕。次々にスターが生まれサッカーをメジャースポーツへと押し上げた。NHKでは地域に密着したJリーグの試合を積極的に放送。当時NHKはBSの普及と拡大が大きな課題で、視聴者を引きつけるにあたりJリーグ中継を活用。この年の10月、日本はW杯初出場をかけてイラクと対戦。NHKは衛星放送で中継。試合は終了間際で追いつかれ本大会への出場ならず。このことは「ドーハの悲劇」と呼ばれた。初出場は98年フランス大会。当時の日本代表は主にJリーガー。選手にとってもモチベーションになっていた。
アジア初開催の02年ワールドカップ日韓大会。宮本会長は日本代表として出場。自国開催に国内のサッカー熱は一気に高まった。初戦で森岡隆三が負傷、代わって出場したのがキャプテン宮本。骨折のためフェイスガードをつけての出場で、その姿から「バットマン」と呼ばれ注目された。この瞬間、緊張などもあり体の動きがギクシャクしていたという。宮本がゾーンに入ったという第2戦は日本がワールドカップ初勝利。視聴率66.1%。Jリーグができて10年目、宮本は「負ければサッカーの火が消えてしまう」という思いで臨んでいた。当時子どもだった少年たちが今の日本代表の主力。
現役時代は日本代表のキャプテンを務めた宮本会長。04年アジアカップのヨルダン戦はPKに。荒れた芝生に足が滑り日本がピンチになると、宮本会長が日本を代表して審判に抗議。この主張が通りサイドが変わり、日本が勝利した。相手選手へのプレッシャーを与えるのが目的で、「フェアじゃない」訴えたことで審判の心が動いたという。NHK井上会長は公共メディアのリーダーとして「チームが苦しいときこそリーダーの存在が大事」「リーダーが背中を見せることで安心感・信頼感が生まれる」と話した。
NHK井上会長はグループ全体を「チームNHK」と捉え、それぞれの分野のプロフェッショナルを融合させ新しい領域の仕事を生み出そうと経営に取り組んでいる。JFA宮本会長は日本代表の強化方針や国際機関との交渉など日本サッカーのため国内外で活動。日本サッカーの未来像について「サッカーで明るい未来を作りたい」「子どもたちがサッカーを始めやすい環境づくりをやっていきたい」と話した。公共メディアに期待するのは代表戦を地上波で放送すること。井上会長は「大事なことを放送するのはNHKがやるべきこと」「幅広くスポーツの魅力を送り出したい」と話した。今大会は日本代表の全試合を地上波・BSで生中継。BSでは全104試合放送。NHK ONEでも配信。

© 2009-2026 WireAction, Inc. All Rights Reserved.