1954年頃に爆心地の方向を撮影したと見られるスライド写真が被爆81年で初めて見つかり、貴重な資料となった。スライド写真には原爆資料館東館や原爆ドームが写っており、撮影したのは元広島市長の濱井信三であり、自らも被爆者で核兵器廃絶を訴えながら復興に尽力し、原爆市長とも呼ばれていた。濱井信三の息子・順三は父が撮影してきたスライド写真を大切に保管していた。濱井信三が特に重要視していたものの一つが市の中心部で防災機能を備えた平和大通りの整備であり、スライド写真にも複数様子が残されている。平和大通りは復興の象徴となり完成後には様々な催しが執り行われた。46年前に日本被団協の集会の音声が記録されており、当時は被爆者援護を求める世論が高まっていた。しかし集会前日には厚生大臣の諮問機関が戦争被害についてすべての国民がひとしく受忍しなければならないと結論を示していた。被爆者の山口仙二は国連軍縮特別総会に参加し、被爆者の実相を訴えた。集会に参加していた被爆者・前座良明の息子・明司は音声データから父の怒りが伝わってくるなどと語った。前座良明は24歳のときに広島で被爆し、17年前に亡くなっており、集会の中では子どもたちの未来を案じる言葉が語られていた。厚生労働省のまとめでは3月末時点で被爆者は9万1,105人となっている。
住所: 広島県広島市中区大手町1-10
