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「森雪」 のテレビ露出情報

南三陸町に住む井上さん達は無理にでもテンションを上げないと悲しみもが今も横たわっているためである。震災に23歳の時に兄が巻き込まれ亡くなっており、慰霊碑の後に家族皆で墓参りを行っている。彩さんは2023年、東京で声優を目指して昼間は仕事をし、夜には学校に通う毎日を送っている。スタジオには先輩の作品が飾られている。昼間の疲れがある中体にムチを打って授業を受ける。授業では「宇宙戦艦ヤマト」の「森雪」を演じた一龍斎春水さんなど実力派の講師が講義をしてくれしんどさは感じないという。受講料は2年間でおよそ100万円である。今声優を目指す人は年間2、3万人と言われ子どものあこがれの仕事となっているがプロになっても年収が100万円にも満たない人が4割以上となっている。一方でルックスなどからアイドル声優が生まれるような世界でもある。
彩さんは少しでも出費を抑えるため東京郊外に住んでいる。元々高校を卒業して上京したのは公務員として東京都庁に就職したという。兄が大学、姉が専門学校へ行っており、お金を気にした部分はあったと話す。そして就職した年の3月に震災があり、都庁を辞めてもう一回公務員職員試験を受けて21歳から南三陸町職員として勤務していった。しかし心の中である不安が湧き上がってきたという。両親を安心させたくてやったが自分のやりたいことがなかった感じて行動に移したという。小学生の時に劇団四季の元団員が教えてくれる芝居が楽しかった思い出がゲーム「アイドリッシュセブン」の記念番組を見て思い出しいいなと思ったという。そしてそのタイミングで「日本ナレーション演技研究所」の広告を見て親にも内緒で応募したという。応募したかいがあり、成績も上だったがあと一歩の壁が破れず31歳になり今回が最後のチャレンジだと感じている。
多くの声優志望者が養成所などに通う他塾のようなワークショップに通う時代。彩さんもその1人で大手プロダクションに所属で今も声優として活躍している宮原弘和さんのワークショップに4年半に通う古株。ワークショップのメンバーは仲間であると当時にライバルである。宮原さんからは鋭い指摘がされていく。さらに彩さんにはもう一つ気がかりな部分がある。成長するにつれ大きくなってきた「太田母斑」という頬のあざで最後の最後でこのあざが仇になるかもしれない。宮原さんは演技がうまいなどだけでかなう職業ではないため持っている可能性を少しでも上げて可能性を高くした方が心の安心につながるなど話す。ワークショップを終えてこの日は恒例の忘年会を行った。声優やあざについて話し彩さんは自分でもどうしたらいいのか分からず涙が溢れてしまった。
12月29日、年末の里帰りをした。姉は震災後故郷に戻り親と一緒に暮らしている。彩さんについて両親に聞くと震災は家族全体の流れを変えたところはある。急にどうにかなる、あしたどう生きていられるかどうかも分かんない時もあり強要もできないしやりたいことはやらせてあげたいんだけどと娘たちに迷惑をかけたと感じる負い目だと話す。またあざのことをスタッフが伝えるとそんなのを不採用の理由にされるならば最初からやらしたくないと話した。そしてつかの間の家族団らんを過ごす。

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