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「武田二十四将図」 のテレビ露出情報

リーダーが作戦の大方針を決定し、現場は現場に一任することは「ミッション・コマンド」と呼ばれる。武田軍はこの方針を取り入れていて、真価を発揮したのが三増峠の戦い。北条軍から挟撃されるなか、武田信玄は別働隊を率いる山県昌景に後方の敵に対処するよう命令した。本隊が苦戦を強いられるなか、別働隊は後方をある程度抑えたところで、必要最低限の兵以外で敵軍へ奇襲を仕掛けた。これにより、武田軍は勝利を収めた。古市昌一教授の監修で、「ミッション・コマンド」を取り入れた部隊は得られた情報をもとに意思決定する時間が短く、機動力もあるという。信玄は山県昌景、馬場信春など自らの目利きで選んだ武将を登用していて、歴史家の平山優氏は「信玄は基本的に実力主義」と語った。徳川家康と激突した三方ヶ原の戦いで武田軍は魚鱗の陣を展開。密集した陣形により、命令が伝達しやすく、徳川軍に大勝を収めた。

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