楠木正成は標高1000mを超える金剛山の中腹に築城していた。幕府軍からすれば軍勢を展開しづらい上、楠木は進軍ルートに沿って複数の山城を構築した。地形を活かし少ない手勢でも大軍を翻弄したという。武具に着目すると、平安時代~鎌倉時代にかけては重装備の大鎧が一般的だった。対照的に楠木正成の鎧は軽くて簡素で、山岳地帯の移動に適していた。使っていた弓は当時としては最新鋭で、世界弓道大会で優勝を収めた友安正人氏が調査に協力してくれた。旧型よりも速く、高威力。30m遠く飛ばすこともできたという。劣勢に立たされた幕府軍は意気阻喪し、戦場で賭博にふけり、風俗に耽溺。戦場から離脱する者もいた。一方、倒幕軍の数は膨れ上がり、1333年5月に鎌倉幕府は滅亡した。