毛皮のマリーズ時代、志磨はストイックすぎる姿勢がバンドにとって弊害にもなっていたという。まずは「志磨ルール」。独自の減点方式を設け、規定に達しないメンバーを解雇していた。次に「自分を人質に」。自身の覚悟を示すため、包丁を見せてメンバーに本気を伝えようとしたこともあったという。その後、2011年に毛皮のマリーズは解散。新たに始めたドレスコーズでは、周囲に気を遣いすぎて疲弊し、最終的にひとりになってしまった。当時の歌詞について尋ねると、「自分のものじゃないような感覚だった」と語る。自分の人生を肯定するための曲から、誰かの人生を支えるための曲へ、さらに自分が正しい道を歩めているかを教えてくれる存在へと変わっていったと語った。